英国の演出家ピーター・ブルック(Peter Brook)が2日、活動拠点としてきたパリで亡くなった。97歳だった。演劇から余分なものを取り除き、ドラマの本質を抉る演出で世界の演劇界に大きな影響を与え、「演劇の神様」とも呼ばれた。舞台、オペラ、映画、脚本と多才な活躍で知られる。
1925年、ロンドン西部ターナムグリーンの生まれ。オックスフォード大学モードリン・カレッジ在学中、17歳で初めて舞台監督を務める。1946年にシェイクスピア記念劇場(現在のロイヤル・シェイクスピア・カンパニー)の最年少招待演出家となった。
1947年から1950年にかけてロイヤル・オペラの演出家となり、サルバドール・ダリがデザインを手掛けたリヒャルト・シュトラウス《サロメ》などの演出を手掛けた。1952年には俳優ローレンス・オリヴィエがプロデュースした映画「三文オペラ」で映画監督としてもデビューした。
1962年からはロイヤル・シェイクスピア・カンパニーで、「リア王」や「真夏の夜の夢」といったシェイクスピア作品を次々に演出。ジョン・ギールグッド、ローレンス・オリヴィエ、ポール・スコフィールドといった名優たちと数々の名舞台を送り出し、作品の本質に迫る手法が称賛を浴びた。中でも、「真夏の夜の夢」はホワイトキューブのセットを使い、空中ブランコ、竹馬、鉄線の森が登場する斬新な演出で大きな話題をさらった。
1966年には、ベトナム戦争を批判する「US」を上演、即興的な討論劇という斬新なスタイルが話題に。フランスの革命家ジャン=ポール・マラーを題材にした前衛劇「マラ/サド」はニューヨークのブロードウェイを席巻し、トニー賞の最優秀演劇賞を受賞している。
1968年には著作『なにもない空間』を出版して、「私はどんな空っぽの空間でも、それを裸の舞台と呼ぶことができる。この何もない空間を一人の男が歩き、他の誰かがそれを見ている、これだけで、演劇という行為が成立するのだ」とするその演劇論が世界の演劇界に大きな衝撃を与えた。
1971年、パリに国際演劇研究センター(CIRT)を設立、1974年から2010年まで主宰を務めた。北駅の裏手にあるブッフ・デュ・ノール劇場は長らく寂れていたが、CIRTのホームグランドになったことで世界の演劇ファンから熱い視線が注がれるようになった。1985年には、古代インドの長編叙事詩を基にした「マハーバーラタ」をフランスの採石場で上演、話題をさらった。9時間にわたる長編で、様々な国籍の俳優を出演させて人間の存在を見つめ直している。
オペラの分野では、1998年にフランスのエクス=アン=プロヴァンス音楽祭の創設50周年を祝ったモーツァルト《ドン・ジョヴァンニ》などがあり、2011年にはモーツァルト《魔笛》にアレンジを加えた「ピーター・ブルックの魔笛」を制作、モリエール賞を受賞している。
トニー賞やエミー賞、ローレンス・オリヴィエ賞、イタリア賞など受賞多数。1997年に日本の高松宮殿下記念世界文化賞、2019年にスペインのアストゥリアス王女芸術賞を受賞している。また、1965年に大英帝国勲章(CBE)、1998年にコンパニオン・オブ・オナー勲章 (CH)に叙せられている。
写真:Theatre des Bouffes du Nord / Simon Annand
訃報 〓 ピーター・ブルック(97)英国の演出家
2022/07/04
【最終更新日】2023/02/06
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