オーストリアのピアニスト、アルフレッド・ブレンデル(Alfred Brendel)が17日、ロンドンの自宅で亡くなった。94歳だった。戦後を代表する巨匠の一人で、古典から新ウィーン楽派まで幅広いレパートリーを誇り、ベートーヴェンはピアノ・ソナタ全曲集を3度に渡って完成させた。優れた理論家、作家、詩人、教育者としても知られた。
生まれは旧チェコスロヴァキア領ヴィーゼンベルク。ホテル経営者の裕福な家庭で育ち、幼少期に一家でクロアチアの首都ザグレブに移った。しかし、思春期に第二次世界大戦が勃発。1943年にオーストリア・グラーツ音楽院でルドヴィカ・フォン・カーンに師事するが、ほぼ独学でピアノを学ぶことになった。
1947年に音楽教員の資格を取得するためウィーン音楽院に進み、翌1948年にグラーツで初めてのリサイタルを開催。1949年の「ブゾーニ国際コンクール」で4位に入賞してウィーンでコンサート・デビューを果たした。その後、エドヴィン・フィッシャーのマスター・クラスにたびたび参加、大きな影響を受けたという。
21歳の時、プロコフィエフのピアノ協奏曲第5番などの作品でレコード・デビュー。1950年代後半、米国の「ヴォックス」レーベルに録音したモーツァルト、ベートーヴェンの演奏が注目を集め、1960年代にはベートーヴェンの全ピアノ曲を録音した初のピアニストとなって国際的な舞台での活躍が始まった。
その後、世界的な指揮者やオーケストラと共演を重ねるかたわら、知的厳格さと詩的霊感が融合していると評された演奏で多くの聴衆を魅了。1969年には世界的レーベル「フィリップス」と専属契約。1971年に40歳でロンドンに移住した。
「フィリップス」には、レーベルを代表するアーティストとして数多くの名盤を残しており、ヴォックス」レーベル時代からの録音は、CD149枚分を数える。
オーケストラとの共演、ソロ活動以外の、ヘルマン・プライ、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ、マティアス・ゲルネら声楽家との共演も多く、ドイツ歌曲の演奏も高く評価されてきた。
ベートーヴェンとシューベルトを核としながらレパートリーは極めて広く、そのユーモアの要素をこれほどまでに引き出したと評されたハイドン、技巧的な輝きに光が当たりがちなリストについては、作曲の最も革新的な要素を浮き彫りにしたと評され、作曲家の解釈に決定的な革新をもたらしたとされ、多くのピアニストに影響を与えた。
1973年1月にカーネギー・ホールにデビュー。1983年には1936年のアルトゥール・シュナーベルに続いて、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲を演奏した2人目のピアニストとなって話題を集め、1993年にも全曲演奏を行うなど、デビュー以来81回出演している。
引退は2008年のことで、12月18日に行われたチャールズ・マッケラス指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートでモーツァルトのピアノ協奏曲第9番のソリストを務めた。1998年に大英帝国勲章名誉ナイト爵位(KBE)に叙せられている他、世界的な受賞多数。
写真:Decca
訃報 〓 アルフレッド・ブレンデル(94)オーストリアのピアニスト

2025/06/18
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