訃報 〓 ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー(87)ロシアの指揮者

2018/06/17
【最終更新日】2023/02/06

ロシアを代表する指揮者ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー(Gennady Rozhdestvensky)が16日、モスクワで亡くなった。87歳だった。モスクワ音楽院が発表したもの。

父は指揮者のニコライ・アノソフ、母は歌手ナタリア・ローズデーヴェンスカヤ。モスクワ音楽院で指揮を父親に、ピアノをレフ・オボーリンに師事。指揮者デビューに当たり、母親の旧姓をもらい受けた。音楽院在学中の18歳でボリショイ劇場でプロコフィエフのバレエ音楽《シンデレラ》を指揮してデビュー。20歳でボリショイ劇場でチャイコフスキーのバレエ音楽《くるみ割り人形》を指揮して早くからその才能が注目された。

その後、1961年にモスクワ放送交響楽団の音楽監督(-1974)、1965年にはボリショイ劇場の音楽監督(-1970)に就任。1969年にはピアニストのヴィクトリア・ポストニコワと結婚している。

1970年には、早くもレーニン賞を受章。1972年にモスクワ室内管弦楽団の音楽監督、1974年にスウェーデンのロイヤル・ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者(-1977)、1978年にBBC交響楽団の指揮者(-1981)、1981年にウィーン交響楽団の指揮者(-1983)と西側で活動する機会が急増した。

彼の亡命を警戒したソ連当局はソヴィエト国立文化省交響楽団を再編、1981年に彼を音楽監督に迎えた(-1991)。同交響楽団とは、ショスタコーヴィチとグラズノフの交響曲全集の他、シュニトケやオネゲル、ヴォーン=ウィリアムズの作品の録音に加えて、ブルックナーの交響曲を異稿版を含めた数多くの録音を残している。1974年以来、モスクワ音楽院のオペラ・交響楽団で教鞭を取り、1976年にはソ連人民芸術家の称号を授与されている。

ソ連崩壊で楽団解散後は、1991年にロイヤル・ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者(-1995)、ボリショイ劇場の芸術委員会委員長などを歴任。2012年からモスクワ室内楽劇場の音楽監督を務めていた。1996年には国家賞を受賞。スウェーデン王立音楽アカデミーと英国王立音楽アカデミーの名誉会員でもあった。

日本との縁も深く、1957年にボリショイ劇場の指揮者として初来日。1972年には大阪でモスクワ放送交響楽団を指揮して、ショスタコーヴィチの交響曲第15番を、ソ連以外で初めて演奏している。1979年の初共演以来、読売日本交響楽団と関係を深め、何度も指揮。1990年には名誉指揮者となった。2001年には勲三等旭日中綬章を受章している。

写真:Bolshoi theater


関連記事

  1. ミラノ発 〓 マニュエル・ルグリがスカラ座バレエ団の芸術監督に

  2. ベルリン発 〓 ヨアナ・マルヴィッツがベルリン・コンツェルトハウス管の次期首席指揮者に

  3. ロンドン発 〓 英国政府が定例の新年叙勲者を発表、アントニオ・パッパーノらが叙勲

  4. フィレンツェ発 〓 レヴァインが指揮活動に復帰

  5. グロッセート発 〓 第1回「セルゲイ・クーセヴィツキー国際指揮者コンクール」で出口大地が最高位

  6. サンフランシスコ発 〓 マイケル・ティルソン・トーマスの名前を付けた「MTTウェイ」誕生

  7. ロンドン発 〓 スターンが所有していた「ヴィヨーム」がオンライン・オークションに

  8. ニュルンベルク発 〓 市が財政難で新しいコンサートホールの建設を延期

  9. 東京発 〓 第33回「高松宮殿下記念世界文化賞」、音楽部門はピアノのクリスチャン・ツィメルマン

  10. アムステルダム発 〓 ロイヤル・コンセルトヘボウ管の第8代首席指揮者にクラウス・マケラ

  11. デュッセルドルフ発 〓 ライン・ドイツ・オペラの次期音楽総監督にヴィターリ・アレクセーノク、アクセル・コーバーの後任

  12. プレストン発 〓 ドイツの高級車メーカー「ポルシェ」の支援受け、新しいオーケストラが誕生

  13. ミラノ発 〓 スカラ座博物館で巨匠演出家フランコ・ゼッフィレッリの回顧展がスタート

  14. シュタイアー発 〓 「オーストリア音楽劇場賞」の最優秀指揮者にフランツ・ウェルザー=メスト

  15. リューベック発 〓 クラリネットのサビーネ・マイヤーが来年で引退

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。