スロバキア生まれのソプラノ歌手エディタ・グルベローヴァ(Edita Gruberová)が10月18日、スイス・チューリッヒで亡くなった。74歳だった。戦後を代表するオペラ歌手の一人で、圧倒的な美声と驚異的な技巧を兼備、世界的な活躍で知られるコロラトゥーラ・ソプラノ。
旧チェコスロバキアのブラチスラヴァ(現在のスロバキアの首都)生まれ。父親はドイツ系で母親はハンガリー系の家庭で育った。ブラチスラヴァ音楽院で音楽の勉強を始め、マリア・メドヴェッカに師事。フランス・トゥールーズの声楽コンクールで優勝後、1968年にブラチスラヴァ歌劇場で《セビリアの理髪師》のロジーナを歌ってオペラ・デビューした。
その後、バンスカー・ビストリツァのJ.G.タヨフスキー劇場の歌手として活動。1969年夏、《魔笛》の夜の女王を歌ってウィーン国立歌劇場のオーディションを受け、1970年に専属歌手の一員となり、それを機に西側に移住した。
1973年には英国のグラインドボーン音楽祭にデビュー、1976年には新制作の《ナクソス島のアリアドネ》のツェルビネッタを歌ってセンセーショナルな成功を収めた。1977年には夜の女王を歌ってニューヨークのメトロポリタン歌劇場にデビューした。
その年、ヘルベルト・フォン・カラヤンが指揮する《ドン・カルロ》に出演してザルツブルク音楽祭にもデビュー。その後、活躍の場を広げ、1980年には初来日。1981年には名演出家ジャン=ピエール・ポネルが演出を手掛けたオペラ映画《リゴレット》に出演、ルチアーノ・パヴァロッティとの共演も実現した。
1984年には英国のロイヤル・オペラ、1987年にはミラノ・スカラ座にもデビュー、幅広いレパートリーで国際的な名声を確立した。中でも、ドニゼッティやベッリーニに代表されるベルカント・オペラの第一人者で、当代を代表する歌手としてでは他の追随を許さなかった。
オペラからの引退は2019年で、バイエルン州立オペラの《ロベルト・デヴリュー》。その後はコンサートやマスタークラス中心の活動に移った。その後、2020年6月にフィレンツェ五月音楽祭に招かれたが、新型コロナウイルスの世界的流行で10月に延期され、最終的にそれもキャンセルされた。
数多くの録音に参加、授賞多数。オーストリアとバイエルンの宮廷歌手、ウィーン国立歌劇場の名誉会員にも叙せられている。夫君は指揮者のフリードリッヒ・ハイダーで共演も多い。また、日本にも多くのファンを抱え、頻繁に来日。自身の半生を語った自叙伝は『うぐいすとバラ』という邦題で日本でも出版されている。
写真:Prague Proms
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