日本指揮者界の大御所、秋山和慶(Kazuyoshi Akiyama)が26日、肺炎で亡くなった。東京交響楽団の音楽監督、常任指揮者を36年にわたって務め、近現代オペラを含む大作の数々の日本初演を行い、海外でもカナダのバンクーバー交響楽団などの音楽監督を歴任、2014年に文化功労者に選ばれている。
東京出身。桐朋学園大学を学び、小澤征爾、山本直純らと共に指揮法「齋藤メソッド」の継承者。1984年には、恩師を偲んで小澤征爾と共に「斎藤秀雄メモリアルコンサート」を開催。このコンサートが後に「サイトウ・キネン・オーケストラ」の発足に繋がった。
1964年、東京交響楽団を指揮してデビュー。1968年から東響の音楽監督・常任指揮者を務め、2004年からは桂冠指揮者だった。1994年のシェーンベルク《モーゼとアロン》、2000年のラッヘンマン《マッチ売りの少女》、2003年のジョン・アダムズの《エル・ニーニョ》などの日本初演を指揮している。
また、その間、国内では大阪フィルハーモニー交響楽団の首席指揮者(1986ー1994)、札幌交響楽団ミュージック・アドバイザー・首席指揮者(1988ー1998)、広島交響楽団首席指揮者・ミュージックアドバイザー、音楽監督・常任指揮者(1998ー2017)、九州交響楽団ミュージックアドバイザー・首席指揮者(2004ー2013)を歴任した。
同時にNHK交響楽団への客演も多く、現在もOsaka Shion Wind Orchestraの芸術顧問(2003ー)、中部フィルハーモニー交響楽団芸術監督・首席指揮者(2010ー)、日本センチュリー交響楽団ミュージックアドバイザー(2020ー)、岡山フィルハーモニック管弦楽団ミュージックアドバイザー(2022ー)を務めていた。
海外でも、カナダのバンクーバー交響楽団(1972ー1985)、米国のアメリカ交響楽団(1973ー1978)、シラキュース交響楽団(1985ー1993)の音楽監督を務めた。米国の五大オーケストラの他、英国のロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団、NDR北ドイツ放送交響楽団やケルン放送交響楽団など、著名なオーケストラへの客演も多い。
1969年から洗足学園大学(現在の洗足学園音楽大学)音楽学部客員教授に就任、その後、専任教授兼附属指揮研究所長(1989ー)、特別教授兼芸術監督(2011ー)を務め、後進の指導にも尽力している。
2012年から日本指揮者協会第5代会長。2014年に指揮者生活50年を迎え、2015年に回想録『ところで、きょう指揮したのは?』を出版。昨年2024年、指揮者デビュー60周年を迎え、大晦日の演奏会で古巣の東響を指揮。その翌日、自宅で転倒して頸髄損傷の大けがを負って入院、今月23日に指揮者活動からの引退を発表していた。
写真:Tokyo Symphony Orchestra
訃報 〓 秋山和慶(84)日本の指揮者

2025/01/28
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