フランス系アメリカ人のピアニスト、ユージン・インジック(Eugen Indjic)が自己免疫疾患で亡くなった。76歳だった。1970年のショパン、1972年のリーズ、1974年のルービンシュタイン、という国際コンクールで入賞、知る人ぞ知るショパン弾きとして多彩な活動を続けた。
1947年、ユーゴスラビア・ベオグラードの生まれ。父親は帝政時代のペータル2世に仕えたセルビアの軍人で、母親はロシア出身という家庭に育ち、4歳の時に米国に移住した。1955年に市民権を得て、1958年にはNBCの放送に出演してピアノ演奏を披露するなど、早熟の天才ピアニストとして注目された。
1962年から10年間、アーサー・フィードラーの要請でボストン・ポップス・オーケストラに客演を重ねる一方、レナード・バーンスタイン奨学金を得てハーバード大学に進み、ローレンス・バーマンとレオン・キルヒナーに音楽理論を学んだ。
1970年代にはショパン、リーズ、ルービンシュタインといった国際コンクールで次々に入賞。その後、欧米の著名オーケストラと共演を重ね、ショパンを中心に数多くの録音を残している。演奏活動に加え、欧米、日本などで定期的にマスター・クラスを開き、国際的なピアノ・コンクールの審査員も務めた。
写真:Natalia Solnica
訃報 〓 ユージン・インジック(76)米国のピアニスト
2024/03/01
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