ピアニストのアンドレ・ワッツ(André Watts)が13日に亡くなった。77歳だった。指揮者のレナード・バーンスタインに見出され、十代から第一線で活躍。チャリティ演奏会やエイズ基金などへの助力など社会的活動も積極的に取り組んだ米国を代表するピアニストの一人。
ドイツ・ニュルンベルクの生まれ。父は西ドイツ駐留の米国軍人、母親が亡命ハンガリー人の家庭に育ち、1954年に渡米してフィラデルフィア音楽院で学んだ。9歳だった1955年にフィラデルフィア管弦楽団と共演するなど、早くから才能を注目された。
1963年、バーンスタインがニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団の青少年コンサートに起用、コンサートは全米にテレビ放映されて注目を集めた。その2週間後、再びバーンスタインが急きょ病気で出演できなくなったグレン・グールドの代役に抜擢、リストのピアノ協奏曲第1番を弾いて一躍時の人となった。
その後、ボルティモアのピーボディ音楽院に入学、レオン・フライシャーの薫陶を受け、1966年のヨーロッパ・デビューを機に本格的な演奏活動に入り、高度なテクニックに支えられた透き通った硬質のタッチで多くのファンを獲得、リストの他、ブラームス、ラフマニノフを得意としてきた。
また、1973年にバークシャー音楽センターで初めて教鞭を執って以来、後進の指導にも積極的に取り組み、全米のさまざまな大学から名誉博士号を授与されており、2011年からはインディアナ大学ジェイコブス音楽院でピアノの教授を務めていた。
テレビ出演も多く、2000年にはフィラデルフィア管の100周年記念ガラ・コンサートの演奏が米国、ヨーロッパ全土にテレビ放映された。社会的な活動にも積極的に参加、1988年のエイヴリー・フィッシャー賞など受賞多数。2011年にはアメリカ国民芸術勲章(National Medal of Arts)を授与されている。
写真:KAJIMOTO
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