指揮者のユーリ・テミルカーノフ(Yuri Temirkanov)が11月2日に亡くなった。84歳だった。ロシアを代表する指揮者の一人で、旧ソ連ではレニングラード交響楽団、キーロフ劇場、レニングラード・フィルハーモニー交響楽団の音楽監督、首席指揮者を歴任。西側でも英国のロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者、米国のボルティモア交響楽団の音楽監督を歴任した。
テミルカーノフは1938年、旧ソ連カバルダ・バルカル共和国ナリチクの生まれ。レニングラード音楽院でヴァイオリンとビオラを学び、指揮科で名伯楽イリヤ・ムーシンのクラスで研鑽を積んだ。1965年、レニングラードのミハイロフスキー劇場でヴェルディの《椿姫》を指揮して本格的に指揮者の活動をスタートさせた。
1966年には第2回「全ソ連指揮者コンクール」で優勝。その後、レニングラード交響楽団の首席指揮者(1968ー1976)、キーロフ劇場の芸術監督・首席指揮者(1977ー1988)を経て、1988年からエフゲニー・ムラヴィンスキーの後任として、名門レニングラード・フィルハーモニー交響楽団の音楽監督と首席指揮者に就任。2022年に引退するまで長くその任にあった。
その一方、1978年からロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団に定期的に客演を始め、1992年には首席指揮者に就任、1998年からは桂冠指揮者を務めてきた。その後、1999年から2006年までボルティモア交響楽団の音楽監督を務め、こちらも退任後は名誉音楽監督を務めていた。
穏やかな指揮姿からチャイコフスキーやラフマニノフ、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチといった伝統的なロシア音楽のレパートリーで本領を発揮、フィラデルフィア管弦楽団やドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団、デンマーク国立放送交響楽団の首席客演指揮者も務めた。日本でも、2000年から読売日本交響楽団に客演していた。
後進の指導にも熱心で、フィラデルフィアのカーティス音楽院やニューヨークのマンハッタン音楽院、イタリアのキジアーナ音楽院で定期的にマスタークラスを開いていた。2022年の引退の裏側には、ロシアのウクライナ侵攻への抗議の意味があったとみる向きもある。ソビエト連邦人民芸術家(1976年)、レーニン勲章(1983年)をはじめ、日本の旭日小綬章など受賞多数。録音も数多い。
写真:MITO SettembreMusica / Stas Levshin
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