指揮者ミゲル・アンヘル・ゴメス・マルティネス(Miguel Ángel Gómez Martínez)が亡くなった。74歳だった。スペインを代表する指揮者の一人で、若くしてウィーン国立歌劇場の指揮者陣に加わり、フィンランド国立歌劇場やマンハイム国民劇場の音楽総監督、母国でもスペイン放送交響楽団、国立サルスエラ劇場の首席指揮者を歴任している。
グラナダ生まれで、父はグラナダ音楽院の教授、母はピアニストという家庭に育つ。5歳でグラナダ音楽院の試験に合格し、7歳で指揮台に立ち、長じてマドリード音楽院で学んだ。その後、ウィーン音楽・演劇大学でハンス・スワロフスキーから指導を受けた。
在学中の1971年、「ニコライ・マルコ国際指揮者コンクール」に入賞。翌年にルツェルンで指揮者として初舞台を踏み、1973年にはベルリン・ドイツ・オペラで《フィデリオ》を指揮している。その後、1975年にグラナダの国際音楽舞踊祭で母国でもデビューした。
1976年にはウィーン国立歌劇場の首席者陣に加わり、1984年には母国のスペイン放送(RTVE)交響楽団の首席指揮者、マドリードの国立サルスエラ劇場の音楽監督に就任して、スペインを代表する指揮者としての地位を確立した。
その後、マンハイム国民劇場の音楽総監督(1990-1993)、エウスカディ管弦楽団(1889-1993)の首席指揮者、フィンランド国立オペラの芸術監督兼音楽監督(1993ー1996)、バレンシア管弦楽団(1997-2004)の首席指揮者、ベルン市立劇場の音楽総監督(2000ー2004)を歴任した。
抜群の記憶力の持ち主として知られ、作曲家としても活躍。1972年の組曲《ブルレスカ》やアメリカ大陸発見500周年記念に作曲された1992年の《発見の交響楽》をはじめ、妻アレッサンドラに捧げたバリトンとオーケストラのための作品《恋人からの手紙》、オペラ《アタラー》の他、ヴァイオリン協奏曲などがある。
写真:Festival de Granada / Fermín Rodríguez
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