ブラジルのピアニスト、ネルソン・フレイレ(Nelson Freire)が10月31日、リオ・デ・ジャネイロで亡くなった。77歳だった。戦後を代表するピアニストの一人。2年前に散歩中に石に躓いて転倒、肩と肘を繋ぐ上腕骨を骨折した後、演奏活動から遠ざかっていた。
1944年、ブラジルの小都市ボア・エスペランサ生まれ。5人兄弟の末っ子で、3歳から姉の演奏を真似てピアノを弾きこなしていることに気付いた両親が音楽教育を受けさせるため、一家は彼が5歳の時にリオ・デ・ジャネイロに移住した。
12歳だった1957年、ギオマール・ノヴァエスやマルグリット・ロン、リリー・クラウスが審査員を務めた第1回「リオ・デ・ジャネイロ国際ピアノ・コンクール」で入賞。翌1958年にはブラジル大統領からの奨学金を受け、ウィーン音楽院(現在のウィーン国立音楽演劇大学)に進み、フリードリヒ・グルダの師ブルーノ・ザイドルホーファーに師事した。
1959年からソロ活動をスタートさせ、1964年にはリスボンで行われた第2回「ヴィアナ・ダ・モッタ国際音楽コンクール」で優勝。22歳だった1966年にはロンドン・デビューを果たして、センセーショナルな成功を収め、タイムズ誌から「若き鍵盤の獅子」と形容された。
以来、国際的な活動を展開。磨き上げられた奥深い響き、繊細でどこまでも詩的で人に暖かい音楽を紡いで多くの音楽ファンを魅了してきた。10代からの知り合いであるマルタ・アルゲリッチとの友情でも知られ、二人でたびたび共演を重ねた。
演奏活動のかたわら、世界的なコンクールの審査員を歴任。2001年にはパリで行われている「ロン=ティボー国際コンクール」の審査員長も務めた。2021年には第18回「ショパン国際ピアノ・コンクール」の審査員となるも体調不良でキャンセルしており、アルゲリッチも一緒に審査員を降りている。
2003年にはジョアン・モレイラ・サレス監督によるドキュメンタリー映画『A man and his music=邦題:ネルソン・フレイレ』が制作された。録音は少なかったが、2001年に「デッカ」レーベルと専属契約を結び、2007年にはブラームスのピアノ協奏曲全集を発表、英国の「グラモフォン賞」の協奏曲部門を受賞している。
写真:Universal Music / Mat Hennek
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