テルアビブ発 〓 ワーグナーの音楽を放送したラジオ局が謝罪

2018/09/04

イスラエルの公共放送協会「Kan」のクラシック専門チャンネル「ボイス・オブ・ミュージック」が8月31日、ワーグナーの楽劇《神々の黄昏》の音楽をラジオで放送した。イスラエルでは現在も、ワーグナーは反ユダヤ主義の作曲家であり、ユダヤ人抹殺を企図したナチス政権が好んだ作曲家という位置付け。放送、演奏を禁止する法律は存在しないが、1948年の建国以来、これまで公の放送でその音楽が流されたことはなく、この日が初めてだった。ところが、放送後にリスナーから放送局に抗議が殺到し、9月2日になって「Kan」が公式に謝罪する事態に発展した。関係者によると、ワーグナーをめぐる論争を知らない若いスタッフが特段の意図なく選曲して起きた結果とされるが、イスラエルでいまなお、ナチスを想起させるワーグナーの音楽への拒否反応が強いことが証明された格好。

ワーグナーの作品については、イスラエル建国前の1938年4月、当時のイギリス委任統治領パレスチナに設立されたパレスティナ交響楽団がテルアビブとエルサレムで行った演奏会で、イタリアの巨匠指揮者アルトゥーロ・トスカニーニの指揮で《ローエングリン》の第1幕前奏曲と第3幕前奏曲を演奏している。しかし、その年の11月にドイツ各地でユダヤ人に対する大規模な暴力事件「水晶の夜=クリスタル・ナハト」が起きたことでオーケストラのレパートリーから排除され、戦後は演奏がタブー視されてきた。

そのタブーを打ち破ろうと最初に挑戦したのは、イスラエル・フィルの音楽監督を務めるズービン・メータ。メータ1981年、テルアビブで行う演奏会のアンコールで《トリスタンとイゾルデ》の前奏曲を演奏した。しかし、一部の団員が演奏を拒否してステージを降りた上、演奏に賛成、反対の観客の間で殴り合いが発生。しかも、「ホロコースト」の生存者が舞台に上がり、シャツを開いてナチスの強制収容所の傷を見せるという事態となって演奏は中断。数日後、メータは改めてアンコールで演奏に挑戦したが、この時も観客の激しい抗議を受け、数小節だけで演奏を中止した。

続いて1992年、ダニエル・バレンボイムがイスラエル・フィルに客演するにあたり、ワーグナーの作品をプログラムに入れ込んだ。しかし、この時もイスラエル政府の抗議を受けて変更を余儀なくされる。ただ、リハーサルを一般に公開して、ワーグナーの演奏を聴いてもらう機会を作ることには成功した。そして2000年、意外なところで、戦後初めてイスラエルでワーグナー作品が演奏される。自ら「ホロコースト」の生存者である指揮者メンディ・ロダンがイスラエル中部の都市リション・レジオンで指揮したコンサートで《ジークフリート牧歌》を演奏し、完全なタブーは取り敢えず破られた。

バレンボイムは2001年、ベルリン州立歌劇場を率いてテルアビブで行われるイスラエル音楽祭に客演するに当たり、プラシド・ドミンゴを中心とした歌手たちと《ワルキューレ》の第1幕を上演しようと企画。しかし、またもイスラエル政府に強硬に反対されて、プログラムをシューマンやストラヴィンスキーに切り替えた。ただ、諦めきれなかったバレンボイムは、アンコールの演奏前に「これからワーグナーを演奏する」と宣言。拍手と怒号が交錯する中で、ヘブライ語で聴衆に対し、30分かけてワーグナーをとり上げる理由を述べ、反対する人もとにかく音楽を聴いてくれるよう語りかけた後、《トリスタンとイゾルデ》を演奏することに成功した。しかし、以後は進展なし。2012年にも、テルアビブ大学でワーグナーを取り上げる演奏会が計画されたが(指揮はアッシャー・フィッシュ)、抗議によって中止に追い込まれている。

写真:Bayreuther Festspiele

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