イタリアの世界的ピアニスト、マウリツィオ・ポリーニ(Maurizio Pollini)が3月23日、ミラノの自宅で亡くなった。82歳だった。現代最高のピアニストの一人で、古典作品やショパンなどロマン派の演奏に加え、ルイジ・ノーノやピエール・ブーレーズら20世紀以降の音楽の語り部としても知られた。葬儀はミラノ・スカラ座で執り行われるという。
ミラノ生まれで、著名な建築家を父に、ピアニストを母に持ち、5歳からピアノを学んだ。1957年、15歳で「ジュネーブ国際コンクール」で第2位を獲得、改めて挑んだ1958年のコンクールでは1位なしの第2位となった。1959年の第1回「ポッツォーリ国際ピアノ・コンクール」で優勝を果たす。
18歳だった1960年、第6回「ショパン国際ピアノ・コンクール」で審査員の全員一致で優勝。この時の審査委員長で名ピアニストのアルトゥール・ルービンシュタインが「今ここにいる審査員の中で、彼より巧く弾けるものが果たしているであろうか」と賛辞を述べたことから、一躍国際的な名声を勝ち取った。
しかし、その後10年近く演奏活動から遠ざかったことから、腕の故障説や直ちに多忙な演奏生活に入ることを避けたという説が取り沙汰された。実際にはミラノ大学で物理学を学んだり、イタリアの先輩で名ピアニストのアルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリに師事して研鑽を積んでいたとされる。
復帰後は他の追随を許さない完成度を誇るテクニック、研ぎ澄まされた感覚から紡ぎ出される響き、硬質で透明感のある音色を駆使して、作品そのものに語らせる姿勢で多くの音楽ファンを魅了。レパートリーはバロック時代から古典派、ロマン派に現代まで非常に幅広く、また、音楽の在り方について、文化や市民生活に不可欠な要素として、また、社会を変革する道具として理解されなければと問いかけてきた。
1995年に自ら企画し、日本を含む世界各国で開催した「ポリーニ・プロジェクト」では、古典と現代音楽を並べて大きな反響を呼んだ。円熟期に改めてショパンと向き合い、「夜想曲集」のアルバムは2007年のグラミー賞器楽部門を受賞している。漆器や黒澤明監督の映画を愛する親日家で、1974年の初来日から来日は20回近くを数えた。2018年年の来日が最後となった。
国際的な受賞歴は数知れず、1987年にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団名誉賞、1995年にザルツブルク州ゴールド勲章、1996年にミュンヘンでエルンスト・フォン・シーメンス賞、1999年にヴェネツィアでアルトゥール・ルービンシュタイン賞、2000年にミラノでアルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ国際賞、2010年日本で高松宮殿下記念世界文化賞をそれぞれ受賞している。
2022年夏のザルツブルク音楽祭のリサイタルを、心臓の不調を訴えて演奏直前にキャンセル。その後、2023年6月15日のウィーンでのリサイタルまで休養が続いた。しかし、10月16日のパリのリサイタルはまたキャンセル。30日にチューリッヒでリサイタルを行った後、来年4月に予定されていたスペイン・ツアーをキャンセルしていた。
写真:Teatro alla Scala
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