バイロン・ジャニス(95)米国のピアニスト

2024/03/18
【最終更新日】2025/01/06

米国のピアニスト、バイロン・ジャニス(Byron Janis)が3月14日、ニューヨーク・マンハッタンの病院で亡くなった。95歳だった。ウラジミール・ホロヴィッツが認めた三人の弟子のうちの一人で、1960年代初め、ヴァン・クライバーンと並んでスター・ピアニストとして活躍。1960年と1962年にはモスクワ公演を行って米ソの雪融けに貢献した。

本名はバイロン・ヤンクスで、ペンシルベニア州マッキースポートの生まれ。画家のマリア夫人は俳優ゲイリー・クーパーの一人娘。神童として知られ、八歳の時に初めてのリサイタルを行い、名ピアニストのヨーゼフ・レヴィン、ロジーナ・レヴィン夫妻のもとで2年間にわたってレッスンを受けた後、ニューヨークのジュリアード音楽院で学んだ。

1943年に15歳でアルトゥーロ・トスカニーニの指揮でデビュー。翌1944年には、若き日のロリン・マゼールの指揮でラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を演奏。そのコンサートを聴いていたホロヴィッツが指導を買って出て、四年にわたってレッスンを受けることになった。その指導の下で、ロシア楽派らしい豊かな音色を紡ぐ華麗な音楽作りの基礎が確立されたとされる。

1958年、旧・ソ連の威信を賭けた第1回「チャイコフスキー国際コンクール」で23歳の米国人ピアニスト、ヴァン・クライバーンが優勝して世界的な話題となる。その直後の1960年、米ソ雪融けムードの中で、ジャニスが最初の米国人ピアニストとして旧・ソ連の首都モスクワに派遣された。1962年に再訪。どちらもセンセーショナルな成功を収め、その名前を全世界に鳴り響かせた。また、その時のライブ録音群もベストセラーとなり、名盤の誉れ高い。

これをきっかけに数多くの演奏旅行を敢行。バッハ以降のピアノ作品を幅広く演奏しており、独奏曲ではショパンの演奏で、協奏曲ではラフマニノフやプロコフィエフの演奏が知られている。1966年にはパリ郊外のトワリー城に招かれた時に偶然、ワルツ第11番などショパンの自筆譜を発見。以後、ワルツの楽譜を校訂の作業も行っている。その時の楽譜は1996年、日本のテレビ番組「なんでも鑑定団」に出典されて話題となった。

しかし、1973年から重度の関節炎を発症して活動を休止。後に1984年の大統領表彰の際、ホワイトハウスにおける晩餐会の席上で、数十年にわたって重度の関節炎を患っていること、手術を受けていたことなどを明らかにしている。演奏活動を休止してからはニューヨークのマンハッタン音楽院で後進の指導に当たっていた。

4人の現職大統領からホワイトハウスでの演奏に6回招かれている他、フランス政府の「レジオン・ドヌール勲章」を受章。イェール大学などから名誉博士号も授与されている。

写真:https://www.facebook.com/ByronJanis/


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