ロシア生まれで亡命したドイツを拠点に活躍したピアニストのアナトール・ウゴルスキ(Anatol Ugorsky)が5日、デトモルトで亡くなった。80歳だった。ソ連時代にレニングラード音楽院の教授を務めたが、ユダヤ系市民への迫害から逃れるため1990年に亡命。その後は個性派ピアニストとして活躍した。
1942年、西シベリアのアルタイ地方南西部にあるルブツォフスクの生まれ。1945年に家族でレニングラード(現在のサンクト・ペテルブルク)に移り、レニングラード音楽院に入学でナデージダ・ゴルボフスカヤに師事。学生時代から前衛的な解釈で注目を集めた。
1968年には、ルーマニアのジョルジェ・エネスク国際ピアノ・コンクールで第3位を獲得。その後はアルバン・ベルク、オリヴィエ・メシアン、ピエール・ブーレーズらの現代作品を積極的に紹介、妻で音楽学者のマヤ・エリクと共にシェーンベルクの《月に憑かれたピエロ》のソ連初演を手掛けた。
ところが、そうした活動が当局から問題視され、1970年代に入ってソロ活動を禁じられ、合唱団の伴奏者の仕事に従事させられた。1982年になってレニングラード音楽院の教授に抜擢されたが、1980年後半からの体制改革運動「ペレストロイカ」の流れの中で反ユダヤ主義の動きが表面化。脅威が家族にも及んできたことから、1990年に一家でベルリンに亡命した。
ベルリンの難民キャンプで数ヶ月間過ごした後、1991年になって老舗レーベル「ドイツ・グラモフォン」と専属契約。《ディアベッリ変奏曲》でアルバム・デビューを飾り、1992年には50歳でザルツブルク音楽祭に出演、衝撃的な国際デビューを飾っている。
青年時代にグレン・グールドの影響を受けたとされるが、柔らかなタッチ、幅広いダイナミック・レンジ、鮮やかな色彩を駆使したロマンティズム溢れる演奏が多くの聴き手を魅了。レパートリーも多彩で、自ら伝道者を自負するスクリャービンを筆頭に、ベートーヴェン、シューマンやシューベルトの作品で高い評価を集めた。
スクリャービンはピエール・ブーレーズ指揮のシカゴ交響楽団とのピアノ協奏曲が2000年のグラミー賞にノミネートされ、2010年にはピアノ・ソナタ全曲を録音している。また、1995年には、メシアンの《鳥のカタログ》で“ドイツ版グラミー賞”とされた「エコー・クラシック」を受賞している。
後進の指導にも熱心で、長くデトモルト音楽大学の教授を務めた他、ミュンヘン国際音楽コンクールの審査員なども歴任。2019年に46歳で亡くなった娘のディナ・ウゴルスカヤもピアニストで、ソロ活動のかたわら、ウィーン国立音楽演劇大学で亡くなるまでピアノ科の教授を務めていた。
写真:Deutsche Grammophon
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