ドイツのヴァイオリニスト、エディト・パイネマン(Edith Peinemann)が2月24日に亡くなっていたことがメディアに伝えられた。85歳だった。残された録音は少ないが、ジネット・ヌヴーらと並んで、戦後を代表する女流ヴァイオリニストの一人として知られていた。
1937年、マインツの生まれ。マインツ楽団のコンサートマスターを務めていた父親から音楽の手ほどきを受けた後、ロンドンでマックス・ロスタルに師事した。1956年に19歳でミュンヘンのARD国際音楽コンクールに優勝し、審査員を務めた指揮者のウィリアム・スタインバーグに招かれ、1962年にピッツバーグ交響楽団と共演して米国デビューを飾り、国際的な演奏活動をスタートさせた。
米国のクリーブランド管弦楽団を率いていたジョージ・セルに高く評価され、ドヴォルザークのヴァイオリン協奏曲でクリーブランド・デビュー。セルとはカーネギーホール・デビューも飾った。南アフリカを好み、現地でも高い人気を得ていた。1960年代、70年代に5度、南アフリカ地域のツアーを行っている。
人気ヴァイオリニストながら録音活動にあまり積極的ではなく、協奏曲の録音は、セルとのベートーヴェン、ヨーゼフ・カイルベルトとのメンデルスゾーンとシベリウス、ペーター・マークとのドヴォルザーク、ギュンター・ヴァントとのプロコフィエフ、ルドルフ・ケンペとのベルクなど。
1976年にはフランクフルト音楽・舞台芸術大学の教授に就任。その後、クリーブランド音楽院、インディアナ大学ブルーミントン校、ルツェルン音楽院などで指導に当たり、日本の草津国際音楽アカデミー&フェスティバルの講師も務めた。また、2005年から20011年まではESTA(ヨーロッパ弦楽器教育者協会)の会長を務めた。
写真:Deutsche Grammophon
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