アフリカ系米国人オペラ歌手として初めて国際的な活躍を続けたメゾ・ソプラノ歌手のグレース・バンブリー(Grace Bumbry)が5月7日、入院先のオーストリア・ウィーンの病院で亡くなった。86歳だった。昨年10月20日に脳卒中で倒れ、ニューヨークで入院。最近になって転倒による急性虚血性脳卒中を発症して入院していた。
セントルイス生まれで、17歳で地元ラジオ局のコンテストで優勝してセントルイス音楽院への奨学金を得るが、人種差別によって入学を拒否され、ボストン大学音楽学部に入学。その後、シカゴのノースウェスタン大学に移り、ドイツのソプラノ歌手ロッテ・レーマンと出会ったことで声楽の勉強を本格的に始めた。
1958年にメトロポリタン歌劇場のナショナル・カウンシル・オーディションで優勝。その後も数多くの賞を獲得して留学の機会を得て、パリとローマで学び、1960年にパリ国立オペラで《アイーダ》のアムネリスを歌ってオペラ・デビューを果たした。
24歳だった1961年、バイロイト音楽祭を主宰するヴィーラント・ワーグナーに招かれて初の黒人歌手として出演。ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮の《タンホイザー》でヴェーヌスを歌い、42回のカーテンコールを含め、拍手が30分間も続くなど大喝采を浴びて国際的なキャリアをスタートさせた。
その後、1963年にロンドンのロイヤル・オペラ、1964年にミラノ・スカラ座、1964年にウィーン国立歌劇場、1965年にメトロポリタン歌劇場と著名な歌劇場に次々にデビュー。1967年のザルツブルグ音楽祭で収録されたオペラ映画では、ヘルベルト・フォン・カラヤンの指揮の下、カルメンを歌っている。
声量豊かで艶のある輝かしい声、幅広い音域を持ち、1970年にはロイヤル・オペラでサロメを歌ってソプラノ歌手としての活動を始め、その後、メトロポリタン歌劇場ではトスカを歌うなど、ソプラノの役も数多くこなして大成功を収め、黒人歌手のトップランナーとして走り続けた。
1980年代になると再びメゾ・ソプラノとしての活動が中心になり、1997年にリヨン歌劇場で《サロメ》のクリテムネストラを歌ってオペラから引退したが、2010年にパリのシャトレ座でスコット・ジョプリンの《トゥリーモニシャ》に出演、2013年にはウィーン国立歌劇場に請われてチャイコフスキー《スペードの女王》の伯爵夫人を演じている。
カラヤンとの《カルメン》、サヴァリッシュとの《マクベス》、カール・ベームとの《第九》、ジェームズ・レヴァインとの《ドン・カルロ》など名録音も多く、ケネディ・センター名誉賞、フランスの芸術文化勲章など受賞多数。
昨年7月にエンジェル・ブルーがアイーダに黒塗りのメーキャップをすることに反発してヴェローナ音楽祭へのデビューをキャンセルした際は、「私は50年にわたるオペラ歌手生活の中で、必要な時には白い顔、必要な時には黒い顔を使うようにしてきました。私の化粧棚には、ダーク・エジプトからトゥーランドットのチョーク・ホワイトまで、ありとあらゆるものが揃っている」と、その判断に苦言を呈した。
その時の投稿はこう締め括っている。「歴史的な研究をすれば、どんなオペラでも、登場人物の背景は明らか。『オセロ』を演じたサー・ローレンス・オリヴィエを見たことがありますか? 彼は古典演劇でブラックフェイスで演技をした最初の白人です。自分の人種を誇りに思うことは尊いことであり、常に尊重されるべきことですが、オペラという媒体で演じるという選択をしたのであれば、まずその歴史と信用を求めることを知らなければなりません」。
写真:IMG Artists
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