米国のバス・バリトン歌手のサイモン・エステス(Simon Estes)がオペラからの引退を発表した。エステスは黒人のオペラ歌手の第一世代で、広く成功を収めた一人。60年近いオペラ界での活動を通じて、黒人歌手に対する人種的偏見を大きく転換させる役割を担ってきた。
最後の出演は、アイオワ州デモイン・メトロ・オペラのガーシュイン《ポーギーとベス》の公演。《ポーギーとベス》のニューヨーク・メトロポリタン歌劇場初演は1985年で、この時の公演で、ポーギー役を歌ったのがエステス。今回の公演では、彼にとって103番目の役となるフレイジャー弁護士を演じる。
エステスは1938年、アイオワ州センターヴィル生まれの84歳。医学部で学ぼうとアイオワ大学に進んだが、大学の合唱団初の黒人メンバーとして参加したことをきっかけに声楽の道に進み、卒業後はジュリアード音楽院へ。その後、差別、偏見が米国よりも少ないヨーロッパに渡り、1965年にベルリン・ドイツ・オペラでヴェルディ《アイーダ》ラムフィス役を歌ってプロ・デビューした。
翌年、チャイコフスキー国際コンクールで第3位を獲得。その後は欧州の主要歌劇場からの出演依頼が相次いだ。1978年、アフリカ系アメリカ人歌手として初めて、《さまよえるオランダ人》のオランダ人を歌ってバイロイト音楽祭にも登場、その後も出演を重ねた。
偏見、差別が根強い米国に戻り、ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場に出演したのは1982年。この時はワーグナー《タンホイザー》のヘルマン役を歌った。メトロポリタン歌劇場では1985年の《ポーギーとベス》の後、1986年には新制作の《ニーベルングの指環》ではヴォータンに起用されている。
これまで出演した歌劇場は84、共演したオーケストラは115。歌手活動のかたわら人道的活動にも積極的に取り組み、活動を通じて、クリントン、エリツィン、マンデラといった大統領、ローマ教皇といった国際的な著名人を前に歌ってきた。今後はアイオワ州立大学、デモイン・エリア・コミュニティ・カレッジの教授として後進の指導に当たりながら、コンサート活動を続けるという。
写真:Iowa State University / Christopher Gannon
デモイン発 〓 大ベテラン、サイモン・エステスがオペラからの引退を発表
2022/06/17
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