[劇場名]テアトロ・コロン
Teatro Colon
[所在地]ブエノスアイレス … アルゼンチン
Buenos Aires … ARGENTINA
[開場年]1857年
[客席数]2,487席 + 立ち見1,000
…… テアトロ・コロン / Teatoro Colon
[総監督]2017 ▷
マリア・ヴィクトリア・アルカラス / María Victoria Alcaraz
[芸術・公演監督]2017 ▷
エンリケ・アルトゥーロ・ディーメケ / Enrique Arturo Diemecke
[バレエ監督]2017 ▷
パロマ・ヘレーラ / Paloma Herrera
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日本の連合艦隊がロシアのバルチック艦隊を破った日本海大海戦は1905年に起きた。海戦で活躍した巡洋艦の「春日」と「日進」が、実はアルゼンチン海軍から譲ってもらったものだったということはあまり知られていない。中古を譲ってもらったわけではない。アルゼンチンがイタリアの造船所に発注していたものを、1903年に完成してすぐ日本が購入したのだ。
アルゼンチンというと、2001年以来なんと9回も外国債の債務不履行(デフォルト)を連発、いまの我々には財政破綻の国というイメージが強い。しかし、日露戦争当時は最初の経済成長の真っ直中で、イタリアに最新鋭艦を発注できるだけの経済力を持っていた。ブエノスアイレスは1880年に正式に首都と定められると人口も急増、「南米のパリ」と称される大都市に。その中でタンゴ文化も花開いていく。
そんな経済的な繁栄の中、7月9日大通りに建つ現在の、二代目の劇場は開場した。5月広場にあった初代の劇場は1857年の開場。1889年には、二代目の工事が始まっている。設計はイタリアの建築家フランチェスコ・タンブリーニ。しかし、彼は完成を見ることなく亡くなり、弟子のヴィットーリオ・メアノが後を引き継いだ。完成までなんと19年、開場したのは1908年だった。南米最大の劇場はこうして誕生した。
こけら落としは5月25日、ヴェルディの《アイーダ》が上演されている。5月25日はアルゼンチンでは革命記念日でもあり、シーズンは毎年この日に開幕する習わし。開場直後から欧米がシーズン・オフとなる夏の時期には著名な歌手や演奏家が海を渡ってきた。アルトゥーロ・トスカニーニ、エンリコ・カルーソー…。そして、1934年にエーリヒ・クライバーが亡命してきた。
彼は1923年から1933年まで、ベルリン国立歌劇場の音楽総監督を務めた大物指揮者。「ヒンデミット事件」でナチスと対立したことで国立歌劇場を追われた。その彼が1936年、劇場の指揮者に就任する。1949年まで指揮台に立ち、その薫陶を受けて劇場の上演レベルは急速に上昇していった。ミラノのスカラ座、パリのオペラ座(国立オペラのガルニエ宮)と並び、世界三大劇場と言わしめるほどの実力を蓄えた。
戦後、1960年に劇場に芸術高等研究所が併設され、多くの才能が国際舞台へ羽ばたいていった。歌手のベルナルダ・フィンクやマリア・クリスティーナ・キーア、バレエダンサーのパロマ・ヘレーラやリリアーナ・ベルフィオーレ…。19歳でアメリカン・バレエ・シアター(ART)の最年少プリンシパルとなり、2015年に引退したヘレーラは現在、劇場のバレエ監督を務めている。
戦後のアルゼンチンは、ペロン政権の誕生、軍事クーデター、度重なるデフォルトに代表される経済混乱など、政治の迷走で国力の衰退が著しい。劇場もそれに翻弄されてきたが、2006年から劇場を閉鎖しての過去最大の改修工事を行い、舞台機構を一新させて新たな地平をめざしている。往年の輝きはまだ取り戻せていないが、南米最高峰の歌劇場の地位はいまも揺るがない。