[劇場名]テアトロ・レアル
Teatro Real
[所在地]マドリッド … スペイン
Madrid … SPAIN
[開場年]1850年
[客席数]最大1,848席
…… スペイン王立オペラ / Teatro Real
[総監督]2012 ▷
イグナシオ・ガルシア- ベレンゲル / Ignacio García-Belenguer
[芸術監督]2013 ▷
ジョアン・マタボシュ / Joan Matabosch
[音楽監督]2015 ▷
アイヴァー・ボルトン / Ivor Bolton
[首席客演指揮者]
パブロ・エラス=カサド / Pablo Heras-Casado
ニコラ・ルイゾッティ / Nicola Luisotti
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スペイン語の「レアル」は、英語にすれば「ロイヤル」。なので「テアトロ・レアル」は王立劇場を意味する。故にマドリード王立歌劇場と呼ばれることも多い。場所も、オリエンテ広場を挟み、王宮の真正面にある。現在の建物の建設が始まったのは1818年、フェルナンド7世(在位1808年、1814-33年)の治世下だ。
フェルナンド7世の生涯は波乱に満ちていた。カルロス4世を父に持つ彼は、1808年に起きたアランフエス暴動の後、一時的に王位に就く。しかし、スペインがナポレオンに占領されると退位させられ、フランスでの幽閉生活を余儀なくされた。1818年、フランスからの独立戦争が終結してようやく復位が実現した。
その後、彼は絶対主義君主として君臨。かつてのスペインの栄光を取り戻すべく、国家的プロジェクトを数多く起ち上げた。王立劇場の建設もその一つで、オリエンテ広場改造プロジェクトの一環として計画された。ちなみに有名なプラド美術館の開館も1819年だ。
しかし、復位の前後、スペインは南米の植民地を次々に失っていた。1810年にアルゼンチンが、1811年にはベネズエラが独立を宣言。続いて、パラグアイ、メキシコ…。1824年のペルーまで、キューバ、プエルトリコを除く、南米植民地の独立が相次いだ。
国力の低下に伴い、劇場の工事も資金不足に加え、設計を担当した建築家アントニオ・ロペス・アグアドの死もあって工事は一時停止に。完成したのは1850年、工事が始まって33年も経ってからだった。既にフェルナンド7世は亡く、後を継いだイサベル2世の治世になっていた。こけら落としは、ドニゼッティの《殉教者》。
しかし、それで話は終わらず。開場後も、政治の混乱に翻弄されて興業的に振るわず、第一次世界大戦が終わって始まった地下鉄建設で地盤沈下も起きて1925年に閉鎖が決まる。その後も、1931年にアルフォンソ13世が退位して王制から共和制に移行するなど、スペインの政治情勢は混迷を極め、さらに内戦を経てのフランコ政権の誕生、第二次世界大戦の勃発と、劇場を取り巻く状況は激動した。
そうした困難を乗り越え、再開場を果たしたのはフランコ政権下で経済成長が軌道に乗った1966年。まずはスペイン国立管弦楽団のためのコンサートホールとして使われた。さらに1991年から大改修工事がスタート、1997年に最新の舞台機構を持つヨーロッパ屈指のオペラハウスとして面目を一新した。
スペインは数多くの名歌手をオペラ界に送り出してきた隠れた“オペラ大国”だ。オペラハウスとしては、バルセロナのテアトロ・リセウがつとに有名だが、“統一王国”の首都の王立劇場としてこちらも負けじと気を吐いている。音楽監督は2015/2016シーズンから、英国の指揮者アイヴァー・ボルトンが務める。