[劇場名]ポズナン・スタニスワフ・モニューシュコ大劇場
Teatr Wielki im. Stanisława Moniuszki w Poznaniu
[所在地]ポズナン … ポーランド
Poznań … POLAND
[開場年]1910年
[客席数]1,100
…… ポズナン・スタニスワフ・モニューシュコ大劇場 / Teatr Wielki im. Stanisława Moniuszki w Poznaniu
[総監督]2012▷
レナータ・ボロフスカ=ユシュチンスカ / Renata Borowska-Juszczyńska
[音楽監督]2021▷
マルコ・グィダリーニ / Marco Guidarini
[首席指揮者]2021▷
ヤツェク・カスプシク / Jacek Kaspszyk
[バレエ監督]2018▷
ロベルト・ボンダラ / Robert Bondara
この街、一部の人たちの間では良く知られた街でもある。“鉄ちゃん”、“鉄ちん”と呼ばれる鉄道マニアたちに。というのも、ヨーロッパで唯一、この街を起点に蒸気機関車が牽引する列車が定期運行されているからだ。pm36型の2号機、愛称「美しいヘレナ」が牽引する列車はポズナンとヴォルシュティンを結び、約81キロを1時間50分かけて走る。ヴォルシュティンにはSL博物館もあり、マニアたちの訪問が絶えない。
ポズナンは、ポーランド西部にあるポーランドで5番目の都市だ。首都ワルシャワとドイツの首都ベルリンのちょうど中間にあり、ポズナニと呼ばれることも多い。ポーランド最古の都市といわれ、中世ポーランド王国のピアスト朝の最初の首都だった。古くから交通の要衝であり、ドイツ騎士団のハンザ同盟加盟の交易都市として繁栄した。いまも続く国際見本市は、ヨーロッパの見本市の草分け的存在として知られる。
この街は、ドイツ色の強い街だ。というのも、長くプロイセンの支配が続いたからだ。18世紀後半の第2次ポーランド分割によってプロイセン王国に併合され、ナポレオン時代に一時その支配から脱するが、ウィーン体制下でまたポズナン大公国としてプロイセンの支配下に戻った。当時はポーゼンと呼ばれていた。1910年、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世がこの街に新たに建設された城を訪れた。帝国末期に建設されたこのポーゼン城は、ヨーロッパでいちばん新しい城とされる。
その年、城の建設と並行して建設が進められていた施設がオープンする。そう、この劇場だ。設計はドイツの建築家マックス・リットマン(1862-1931)。バイロイト祝祭劇場を模倣したミュンヘンのプリンス・レゲンテン劇場、シュトゥットガルト歌劇場などを手掛けた巨匠で、この劇場も、6本のイオニア式の柱が印象的なファザードを持ち、三角形のティンパヌムの上には、建物のシンボルであるペガサス像が据えられた。
第一次世界大戦が終わり、ポーランドは1918年に独立を果たす。しかし、第2次大戦が始まると、またドイツの支配下に。しかも、大戦末期のドイツ軍とソ連軍による激戦の場となって街の大部分が破壊された。本当の意味で、ポーランドの劇場として活動を始めたのは大戦後、市民たちの手で街の復元が行われてからだ。「ポズナン・スタニスワフ・モニューシュコ大劇場」として活動を始めたのは。その名はもちろん、オペラ《ハルカ》などの作品で知られるポーランドの作曲家モニューシュコ(1819-1872)から採られた。
戦後は国立劇場となり、専属のバレエ団、バレエ学校も付属する。2012年からはガブリエル・フムラが芸術監督を務め、その薫陶を受けて充実の“時”を迎えていた。フムラは若き日にフランス・ブザンソンの国際指揮者コンクール、カラヤン国際指揮者コンクール、グイード・カンテルリ国際指揮者コンクールで優勝を重ねて旋風を巻き起こした大物。その彼が2020年に急逝してしまった。その後を担う“シェフ”が誰になるのか、オペラ通たちが熱い視線を注いでいる。