[劇場名]ブダペスト芸術宮殿
Művészetek Palotája Budapest
[所在地]ブダペスト … ハンガリー
Budapest … HUNGARY
[開場年]2005年
[客席数]バルトーク・コンサート・ホール:1,699席 / フェスティバル・シアター:452席
最初にハンガリーに行ったのは、民主化前の1987年だ。中国・北京に留学していて東ヨーロッパ諸国のビザが取り易かったのだ。東ドイツ、チェコ・スロヴァキア、ポーランドなどを回ってハンガリーへ。そこで急に寛いだ気分になったことを思えている。物もあり、回ってきた国の厳めしいイメージがなく、ずっと大らかな空気が漂っていたからだ。
ハンガリーが他の国と違って、アジア系のマジャール人の国ということもあるだろう。また、ハンガリーの社会主義が他の国の厳格なものと違って、かなり緩やかなものということは解っていた。その分だけ、西側との交流もある、「開かれた国」だったわけで、市民のドル渇望度が解る“道ばた交換レート”も実際にいちばん低かった。
その頃のホールといえば、国立歌劇場や第二のオペラハウスであるエルケル劇場、それにリスト音楽院ホールといったところで、音楽院のホールでは、ルカーチ・エルヴィンの指揮、独奏がコチシュ・ゾルターンのコンサートも聴いた。
民族舞踊を見にブダイ・ヴィガドーにも出掛けたし、観光客相手のレストランで、先代のラカトシュの演奏も聴いた。翌日、ハンガリー国営の「フンガロトン」の街中のショップでレコード盤を漁っていたら、何枚ものジャケットに前の晩に逢った顔があって、「あらー、そうだったの」と気付いたという間抜けな話ではあったが。
それから約20年、民主化なった後に誕生した新しい文化施設がこの「MUPA」の愛称で知られる「Művészetek Palotája=芸術宮殿」だ。その名の通り、コンサート・ホールを核にした複合文化コンプレックスで、ブダ地区とペシュト地区を結ぶドナウ川に架かるラーコーツィ橋近くにある。隣にある国立劇場と共に、民主化後の国家プロジェクトの一つでもある。
開場は2005年3月。全体の敷地面積は10,000平方メートルもあり、館内には、ハンガリーが生んだ世界的な作曲家の名を戴いた「バルトーク・コンサート・ホール」とルートヴィヒ美術館、フェスティバル・シアターの3つの施設を擁する。合わせた総床面積は70,000平方メートルにもなるという。
ホールの客席は1,699人、フェスティバル・シアターは452席。ホールには世界屈指のパイプ・オルガンも鎮座する(ストップ92、木製パイプ470、ブリキ・パイプ5028、リードパイプ1214)。小林研一郎が10年にわたって首席指揮者を務めたハンガリー国立交響楽団の後進であるハンガリー国立フィルハーモニー管弦楽団の本拠地でもある。
音響設計はセル・ジョンソン。アメリカ出身の音響工学建築家で、ルツェルン文化会議センターやダラスのモートン・H・マイヤーソン・シンフォニー・センター、ラハティのシベリウス・ホールやバーミンガム・シンフォニーホールも手掛けている。2007年に83歳で亡くなった彼の最晩年の作品で、音響の良さは折り紙付きだ。
この「MUPA」、単なる貸しホールではなく、自主企画も数多く手掛ける。セミ・ステージ形式でワーグナー《ニーベルングの指環》のチクルス上演を行う「ブダペスト・ワーグナー・デイズ」も彼らの企画。作曲家の生誕140周年である2021年の春には、バルトークをキーワードにした総合芸術祭「バルトーク・スプリング」も起ち上げた。