[劇場名]ロイヤル・アルバート・ホール
Royal Albert Hall
[所在地]ロンドン … イギリス
London … UNITED KINGDOM
[開場年]1871年
[客席数]8,000席
若き日のヴィクトリア女王を描いたTVドラマ「女王ヴィクトリアー愛に生きる」はBBC(英国公共放送)の制作なんだろうと勝手に思い込んでいた。日本でもNHKで、シーズン1が2017年、シーズン2が2019年に放映されたが、BBCの最大のライバルであるITV(独立テレビジョン)の制作だったことを後で知った。ITVは英国最大かつ最古の民間放送だ。
ヴィクトリア女王といえば大英帝国を体現する存在で、歴代の王の中でも大物中の大物として知られる。その存在が偉大であればあるほど、その連れ合いである、いわゆる「王配」の存在は霞みがちだ。しかし、このドラマで描かれているのは、まさかのまさかで女王に即位することになる少女が聡明な「王配」に出会うことで偉大な王に成長していく姿だった。
その「王配」こそ、このホールに名を残すアルバート公のことだ。二人が結婚したのは1840年。アルバート公は女王の母方の従弟で、ザクセン=コーブルク=ゴータ公国の公子だった。結婚後は年若い女王をリードして王室改革を実現、王権の中立化とそれに併せた政治改革を推し進めた。その結果、英国は首相が議会によって選出されるスタイルに変わり、立憲君主制を確立している。
巨大な円形のこのホールも、アルバート公の構想。ハイド・パークに繋がるケンジントン・ガーデンズに面する「セントラル・ホール・オブ・アーツ・アンド・サイエンシーズ」として計画された。設計はアイルランド人の建築家でエンジニアとしても活躍したフランシス・フォーク、1851年のロンドン万国博覧会を手掛けたヘンリー・スコットの二人が手掛けている。
円形ホールは鉄骨にガラス張りという特徴のあるドームを持つ。ドームはスコットの作で、骨組みだけで重さ338トン、貼られたガラスは279トンと、当時の英国で最も巨大で重い屋根を持つ建築となった。天井は高さ41メートルにもなる。ステージ後方にはパイプオルガンも備え付けられ、収容人員は8,000人と、ロンドン最大級だ。
しかし、アルバート公は1871年の開場を見ないまま、腸チフスに罹り42歳の若さで亡くなった。女王の悲しみはいかばかりか。4男5女の9人の子供をもうけた夫妻の仲の良さは知られたところで、女王は以後10年にわたって喪に服し、自身の崩御までの39年間を黒い喪服で過ごしたと伝えられる。ホールは完成すると、「ロイヤル・アルバート・ホール」と命名された。
女王の亡き夫への想いが詰まったホールでもある。ホール内に女王とアルバート公の胸像が配され、階段の手すりには公の頭文字である「A」を使った装飾が施されている。また、女王は、ホールの向かいにあるハイド・パークにも、金色に輝くアルバート公の記念碑を建立した。
このホール、ロンドンの夏の風物詩ともなっている世界最大級のクラシック音楽の音楽祭「BBCプロムナード・コンサート=The Proms」の会場としてつとに知られる。会場に使われるようになったのは第二次世界大戦時、ドイツ軍によるロンドン空襲でそれまで使われていたクィーンズ・ホールが破壊されてからだ。
「The Proms」は戦時下でずっと続けられ、空から見ても目立つ存在なのに、ホールはその後の空襲でも被害を被らなかった。ドイツ軍が空襲時の目印にするため敢えて残したという話まで残る。舞台手前をアリーナとして使えるため、「The Proms」の期間中はそこに「プロマー」と呼ばれる常連たちが陣取る“解放区”になることで有名。
多目的ホールとして便利で、オペラからコンサート、ボクシングやテニスなどのスポーツ・イベントまで守備範囲も広い。1969年から20年間もミス・ワールド世界大会が開かれていたし、1971年と1979年にモハメド・アリがリングに立った。1991年には、なんと大相撲の英国公演も。天井に反響板を付るといった改修、近代化工事を行いながら、2021年の3月29日に開場150周年という節目を迎えた。