突然ですが、《月刊音楽祭トリビア・クイズ》の時間です。ある年の大阪フェスティバルに関して、次の(1)〜(4)のうち、実際にあったものはどれでしょう?
(1)この年、門外不出といわれていたドイツ・バイロイト音楽祭の世界初の引っ越し公演があった。
(2)その公演では、巨大な舞台装置・照明装置などが持ち込まれ、そっくりそのままバイロイトの祝祭劇場の舞台を再現した。
(3)オーケストラ・ピットには、NHK交響楽団が入った。
(4)ビルギット・ニルソン、ヴォルフガング・ヴィントガッセン、ハンス・ホッタ―という戦後最大の伝説的ワーグナー歌手たちがやってきて、同時に同じ舞台に立った。
答えは「すべてあった」。今となってはどれも信じられないが、実際すべて本当にあった話なのである。
1967年の春、10回目を迎えた大阪国際フェスティバルで、バイロイト音楽祭の史上初の海外公演が行われた。今でこそ海外の歌劇場の引っ越し公演自体は珍しくもないが、当時としては我が国の音楽界史上、画期的な大事件だったのであり、主要な音楽関係者は大挙して大阪に詰めかけた。
また、前述のように演出・舞台・歌手とも本場バイロイトの完全な再現が目指されていた上、本場の祝祭劇場を模してのオーケストラ・ピットを覆う独特の天蓋まで急きょ作られたというからびっくりである。これが出稼ぎ公演のレベルではなかったことは明らかだ。
この《トリスタンとイゾルデ》のライブ録音盤は、その貴重な記録である。指揮は作曲家として現代音楽の旗手を自認していたピエール・ブーレーズ。前年に《パルジファル》を振って颯爽とバイロイト音楽祭にデビューし、その斬新な音楽づくりの一方、オーケストラとの相性の悪さで話題を独占していた。
ただ、オーケストラだけは臨時編成される祝祭管弦楽団を再現することはできなかった。そこでN響が起用されたが、オペラ経験がほとんどない中、メンバーは3時間の練習を1日2回、それを18日間続けるといった猛特訓を積んで公演に臨んだ(彼らはシッパーズおよびレンネルト指揮の《ワルキューレ》も担当した)。その成果だろうか、前奏曲でも清冽なワーグナーを奏でていて、むしろまっさらな気持ちで曲に向き合ったことの利点の方が大きかったのではないか。
幕が開くと、ワーグナーの孫にあたるヴィーラントによる演出の特徴でもある抽象化された光景が広がり、観客は瞬時にその世界に引き込まれてしまう。音楽はどこまでも粘らず、速いテンポで流れていく。
イゾルデ役のニルソンは丁寧に歌に言葉を乗せていて、第1幕中間の長い独白「タントリスの歌」あたりでは、意外に軽妙なところも見せる。もちろん、要所要所で聞かれるフェスティバルホールを貫く声の威力は、観客・スタッフらの度肝を抜いただろう。
一方、ヴィントガッセンも、当たり役の一つだけに、細やかな表現でトリスタンを演じ切っている。また、ホッタ―のマルケ王も、実に立派で存在感いっぱい。ホッタ―がマルケ王を歌っている録音は、実はそれほど多くないだけに(クルベナールの方が多い)貴重な記録。若い二人の主人公をなだめる賢者のように振る舞う。
NHKが手掛けた録音の状態は大変素晴らしく、記録以上の、演奏水準の高さからも十分な存在感を持つ。実はこの公演はモノクロながら映像記録も残っているので(かつて非公式ながらVHSビデオが出まわっていた)、ぜひ権利関係をクリアして映像版も出してほしい。今となってはヴィーラント・ワーグナーらの「新バイロイト様式」を伝える貴重な資料なのだから。
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……… アルバム情報
ワーグナー:楽劇《トリスタンとイゾルデ》全曲
トリスタン:ヴォルフガング・ヴィントガッセン(テノール)
イゾルデ:ビルギット・ニルソン(ソプラノ)
国王マルケ:ハンス・ホッター(バス・バリトン)
クルヴェナール:フランス・アンダーソン(バス)
ブランゲーネ:ヘルタ・テッパー(アルト)
メロート:セバスチャン・ファイアジンガー(テノール)
牧童、若い船乗り:ゲオルク・パスクーダ(テノール)
舵手:ゲルト・ニーンシュテット(バス)
大阪国際フェスティバル合唱団
NHK交響楽団
ピエール・ブーレーズ(指揮)