1990年、チャイコフスキー国際コンクールで優勝し、その後もトップ・ヴァイオリニストとして活躍を続ける諏訪内晶子。彼女が「10年以上育み、温めてきた夢」が自身の理想の音楽祭を開催することで、それが実現したのが2013年のことである。その名も「国際音楽祭NIPPON」。彼女はそこで音楽監督に就任。自らの夢に向かって歩み始めた。

諏訪内と縁のある内外の一流音楽家が参加し、ソロ・リサイタル、室内楽、オーケストラなど多彩なプログラムが催される。また、参加アーティストによるマスター・クラスや現在作曲家への新曲委嘱なども組み込まれている。近年はコロナ禍の影響で中止になった年もあるが、ほぼ隔年以上の回数で開催され、その独特なコンセプトもあって存在感を高めてきた。

その中でも、この2月〜3月に開催された「国際音楽祭NIPPON 2022」は大きな話題を呼んだ。というのも、諏訪内自身がヴァイオリニストにとっての聖典、J.S.バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ全曲を、そこで披露することになったからだ。それに先立ち、1月には全曲録音も「DECCA」レーベルからリリースされた。今回はこれを聴こう。

彼女が本録音に使い、音楽祭でも弾いたヴァイオリンは、日本音楽財団から貸与され、20年来使用してきた名器ストラディヴァリウス「ドルフィン」ではない。一昨年秋にニューヨーク在住の個人から貸与された1723年製のグァルネリ・デル・ジェズ「チャールズ・リード」に楽器を替えており、これはそれを使って臨んだ初録音でもあった。

このデル・ジェスは非常に中低音域が力強く、残響の多い会場では「地鳴り・地響き」のような倍音が聞ける、と彼女はインタビューで答えている。実際の録音でも、その楽器の特色はよく捉えられていて、これはこの演奏の大きな魅力の一つである。それはそれで、どうやってその豊かな響きを「そのポリフォニーの中に収めていったらいいのか」という点で苦労があったとはいうが。

また、コロナ禍で自分と対峙する時間ができたことも、これらのバッハ作品をチクルスで弾くことに繋がったという。つまり、音楽祭の成熟、デビュー25周年、使用楽器の変更、そして、コロナ禍の影響というようないくつもの画期が重なって、彼女は今年、満を持して無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータに取り組むこととなったというわけである。

そういった意気込みは、演奏の中にも十分伺える。演奏技術としては万全で、曖昧なところはまるで見られない。急速楽章では、絶妙にアギーギクを効かせながら目覚ましいスピードで弾き切っていて、その推進力はなかなかほかでは聞くことができない。ソナタ第1番の終楽章など、技術的な完成度では最右翼のヒラーリー・ハーンの演奏よりも、速さ・勢いでは優っているほどだ。

その一方で、フーガはもとより、舞曲における多声部の弾きわけも非常にうまく処理されている。往年の名手たちの場合、重音の処理では拍節感を強調して縦の線を揃えて弾くことが多かった。そういう場合のバッハは、厳かで重厚ではあるが、とかく厳しい表情の音楽になりがちだ。が、諏訪内のバッハは、しなやかな歌とハーモニーに満ちていて、長大かつ難解な「シャコンヌ」でも、かの大バッハが優しい表情で聞き手に微笑んでいるかのようだ。

彼女は、3曲ずつ残されたソナタとパルティータを、音楽祭における実演でも1番から3番まで順に、ソナタ、パルティータ、ソナタ……と交互に弾いていた。この2つの曲種を、前者は流麗に、後者はリズムを弾ませて、というように見事に対照させている点も特筆に値する。

近年、バッハの演奏にも「ピリオド奏法」が浸透してきているが、諏訪内の無伴奏は、ヴィヴラートこそ控え目で、決して大げさな表現は採っていないのだが、そうした時代の流行とは一線を画している。自分に正直に、現代の楽器で、現代の奏法で弾き切ることになったのは、それはそれで正しい選択だったろう。何よりもまず、これだけ充実した演奏が、ここに残されたわけだから。


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……… アルバム情報

J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ & パルティータ全曲集

 CD 1
  1. ソナタ第1番 ト短調 BWV 1001
  2. パルティータ第1番 ロ短調 BWV1002
  3. ソナタ第2番 イ短調 BWV 1003

 CD 2
  4. パルティータ第2番 ニ短調 BWV 1004
  5. ソナタ第3番 ハ長調 BWV 1005
  6.パルティータ第3番 ホ長調 BWV 1006

  諏訪内晶子(ヴァイオリン)

   録音時期:2021年6月7日ー11日、7月10日ー13日(デジタル)
   録音場所:オランダ・バーン, ホワイト・チャーチ


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