ドイツの指揮者クリストフ・フォン・ドホナーニ(Christoph von Dohnányi)が9月6日に自宅のあるミュンヘンで亡くなった。95歳だった。世界の主要なオーケストラや歌劇場、ザルツブルク音楽祭やバイロイト音楽祭などの著名な音楽祭で指揮しており、戦後を代表する指揮者の一人。
1929年、ベルリン生まれ。祖父エルンストはハンガリーの作曲家で、父親のハンスはウィーン生まれのドイツの法律家で、反ナチスとユダヤ人支援のレジスタンス活動を行い、1945年に強制収容所で処刑されている。また、母親の兄はルター派の神学者で反ナチスのレジスタンス活動を展開、ヒトラー暗殺計画に関わったとして1945年に強制収容所で処刑されたディートリヒ・ボンヘッファー。兄のクラウスはハンブルク市長を務めた政治家。
第二次世界大戦後、ミュンヘン大学で法律を学ぶが、1948年に音楽の道に転じ、ミュンヘン音楽演劇大学で指揮と作曲を学んだ。卒業後、祖父の下で作曲を学ぶためフロリダ州立大学に留学した。その後、指揮に専念し、1952年にフランクフルト市立歌劇場の音楽監督に就任したゲオルク・ショルティの下でアシスタント指揮者に就任。1957年には27歳でリューベック市立劇場の音楽総監督に就任、当時ドイツ最年少の音楽総監督となった(ー1963)。
その後、カッセル州立劇場、ケルン放送交響楽団の首席指揮者を経て、1968年にはフランクフルト市立歌劇場の音楽総監督に。フランクフルトではジェラール・モルティエらと組んで、リュック・ボンディ、アヒム・フライヤー、ヘルベルト・ヴェルニケら演劇や舞台美術の分野の若手演出家らに活躍の場を与えたことで、演出家主導の劇場「レジー・テアター」の隆盛に先鞭を付けた。
1977年からはハンブルク州立歌劇場の芸術監督兼首席指揮者に就任。その後、クリーブランド管弦楽団の音楽監督(1984ー2002)、フィルハーモニア管弦楽団の常任指揮者(1997ー2008)、パリ管弦楽団の音楽顧問(1998ー2000)、北ドイツ放送交響楽団の首席指揮者(2004ー2011)を務めた。旺盛な活動の中で、欧米の主要歌劇場で数多くのオペラを指揮。ウィーン国立歌劇場では、1992/1993シーズンに新制作のワーグナー《ニーベルングの指環》を指揮している。
また、ザルツブルク音楽祭ではリヒャルト・シュトラウス《薔薇の騎士》やモーツァルト《魔笛》、リヒャルト・シュトラウス《サロメ》などを指揮。ヘンツェの《バッカスの巫女》やチェルハの《バール》などの世界初演も指揮した。一方、バイロイト音楽祭でも《タンホイザー》と《ニュルンベルクのマイスタージンガー》を指揮している。
写真:Brescia e Amisano
訃報 〓 クリストフ・フォン・ドホナーニ(95)ドイツの指揮者
2025/09/09
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