旧ソビエト連邦を代表するヴァイオリニストの一人、リアナ・イサカーゼ(Liana Isakadse)の死去が7月5日に発表された。78歳だった。死因については公表されていない。巨匠ダヴィッド・オイストラフの愛弟子で、グルジア室内管弦楽団の芸術監督を長く務め、ソビエト崩壊崩壊後はドイツ、フランスを拠点に国際的な活動を展開した。
グルジア(現在のジョージア)の首都トビリシ生まれ。7歳で音楽学校に入学。オイストラフにその才能が認められてモスクワの中央音楽学校に招かれ、飛び級で1年早く卒業してチャイコフスキー音楽院で師事した。卒業後はアシスタントを2年間務め、その後、モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団のソリストとして活躍した。
1964年からソビエトの国家楽器コレクションからストラディヴァリウスが貸与され、1965年にパリで行われる「ロン・ティボー国際コンクール」で優勝、1970年には「チャイコフスキー国際コンクール」で第3位、ヘルシンキの「シベリウス国際ヴァイオリン・コンクール」でパヴェル・コーガンと第1位を分け合った。その後、高い演奏技術で世界各地で演奏活動を行った。
1981年から1996年までグルジア室内管弦楽団の芸術監督を務め、1980年代にはドイツのアイヒシュテットの「ナイト・セレナーデ」、グルジアではバトゥミの「オープン・エア・フェスティバル」、ボルジョミの「フェスティバル・オブ・アーツ」といった国際フェスティバルの芸術監督を務めた。1989年から1991年までソビエト連邦の人民代表代理も務めた。1988年の人民芸術家はじめ、受賞多数。
1990年からはドイツ・インゴルシュタット、1990年代以降はフランスのグラースとパリを拠点に活動。2011年にはフェイスブックで繋がったさまざまな国の音楽家たちとオーケストラ「ヴィルトゥオージ・フロム・フェイスブック」を結成。その年、バトゥミで開催された「リアナ・イサカーゼ・フェスティバル」で公演を行っている。
写真: Alexander Kurov / TASS
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