米国のピアニスト、ゲイリー・グラフマン(Gary Graffman)が27日、ニューヨークの自宅で亡くなった。97歳だった。若くして米国を代表するピアニストとして活躍した後、腕の故障で後進の指導に専念。ラン・ランやユジャ・ワン、クレア・フアンチやリディア・アルティミフら多くの音楽かをその門下から輩出した。
ユダヤ系のロシア移民を両親に、ニューヨーク・マンハッタンの生まれ。3歳でピアノを始め、7歳でカーティス音楽院に入学、イザベル・ヴェンゲロヴァ、ヨゼフ・ホフマンらに師事した。10年後に卒業し、ユージン・オーマンディ指揮するフィラデルフィア管弦楽団と共演してソリストとしてデビュー。1949年にはカーネギーホールのレベントリット国際ピアノ・コンクールで優勝して国際的な活躍をスタートさせた。
その後、ウラジーミル・ホロヴィッツやルドルフ・ゼルキンの下で研鑽を積み、チャイコフスキー、ラフマニノフ、プロコフィエフ、ベートーヴェン、ブラームス、ショパンを主要なレパートリーとしながら、欧米の著名なオーケストラと共演を重ねた。また、マールボロ音楽祭などに数多く客演。派手とは無縁の音楽的知性で名声を確立した。しかし、1977年に右手の薬指を捻挫したことが原因で1979年には局所性ジストニアを発症して右手が不自由になり、コンサート活動からは引退した。
翌1980年、母校カーティス音楽院の教授に迎えられて教育活動をスタートさせ、1995年から2006年かけては学長、学長を辞した後は教授に戻って2021年まで指導を続けていた。また、室内楽演奏の指導にも熱心で、ヴァイオリニストのヒラリー・ハーンの室内楽の師でもある。
録音も多数残されており、1979年のウディ・アレン監督の映画『マンハッタン』にはガーシュウィンの《ラプソディ・イン・ブルー》が使われている。
写真:China Daily

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