今春のクラシック音楽界の大きな事件を一つ挙げるとするなら、『レコード芸術』(音楽之友社・刊)の休刊ではないだろうか。創刊は1952年というから、70年を超える歴史あるレコード・CD批評の雑誌であった。このニュースは一般の新聞紙上でも取り上げられたほどの衝撃を持って受け止められ、多くの方がSNS上で休刊を惜しむ声をあげた。音楽関係者の発意で、雑誌の存続を求める署名まで始まったほどだ。
その『レコード芸術』の売りはと言えば、「新譜月評」であった。国内で発売された音盤を各ジャンル2人の音楽評論家が聞いて、レビューを寄せる。内容によって「推薦」「準(推薦)」というマークが付けられ、2人の評者が「推薦」を付けた盤は「特選盤」という名称で、ある種のお墨付きを与えられるという仕組み。また毎月の特集記事では「演奏者」「作曲家」「特定のジャンル」などがテーマとして取り上げられ、深掘りされていった。特に評論家諸氏による「名曲名盤」の投票企画は、いつの時代も人気コンテンツだった。
音楽評論家と我々一般愛好家との間で、レコードの所有数や情報量に大きな格差があった時代、そしてレコード1枚が高価であった時代には、これらの記事は非常に貴重な情報源だった。大げさに聞こえるかもしれないが、当時はベートーヴェンの交響曲全集やオペラの全曲盤など何万円もするセット物を買うとなったら、それはその人にとって一生に何度もない一大事であった時代でもあったのだ。
ただ、近年は、安価な輸入盤がネット・ショップにあふれ、さらに大抵の音源はネットで聞くことができる時代になっている。となると、国内新譜の批評を中心記事とした雑誌媒体の必要性が相対的に低くなっていったのも、ある意味やむを得ない状況だった。実際、毎年『レコード芸術』の1月号に付録として付けられていた過去1年間に出た国内盤新譜を網羅した「総目録」も、どんどんページ数を減らし、往年の半分以下になっていたのも事実だ。
さて、その『レコード芸術』の今年5月号の特集記事が、現代音楽の作曲家、ジェルジュ・リゲティであったのは、いささかの驚きをもって受けとめられている。実際、編集後記には「今週の特集は大冒険です。」と、ある種、自虐的なコメントまである。もはや店頭での売り上げを考えなくて済むこの時期だからこそできた企画というわけでもあるまい。が、個人的にはもっと早い時期から、こういう尖った特集があっても良かった。今となっては、詮無い議論だろうが。
その特集記事「生誕100年 ジェルジ・リゲティ超入門」の中で紹介された音楽祭音源の一つが、『100台のメトロノームのためのポエム・サンフォニック』の初演の様子を記録したネット動画であることも、ある意味、今の時代にとって象徴的なことではないだろうか。
それは、1963年9月13日、オランダ・ヒルフェルスムの「ガウデアムス音楽週間」での出来事だった。100台のメトロノームが舞台上の演奏台に置かれていて、そこに10人の演奏家(?)と指揮者のリゲティが登場する。普通の音楽会のようにリゲティが指揮台の位置につき合図をすると、すべてのメトロノームが任意の速度に設定される。最後に指揮者が手を振ると、順次100台のメトロノームが鳴り出す。
一見、偶然性・意外性を狙ったハプニングの手法によるイベントとも考えられるが、それだけではない。それぞれのメトロノームはカチカチと等拍のパルスを奏でており、その周期の違いによって音は複雑に重なり合い干渉し合う結果、ある種、音の織物のように響く。これは彼の代表作である管弦楽曲『アトモスフェール』などにも繋がっている手法で、作曲者自身は「ミクロ・ポリフォニー」と呼んでいる。それはまた、その後の現代音楽の流れにも大きな影響を与えた。
しかし、それはあくまで後の時代から振り返っての感想となる。この動画には、ちゃんと着飾って真面目に音楽を聞こうと集まっている聴衆が、ことの成り行きを目の当たりにし、驚きと困惑の表情を深めていく様子が赤裸々に捉えられている。やがて、ゼンマイの切れたメトロノームは一台づつ動きを止めて行き、聴取はその様子をまさに息をひそめてじっと眺めている。まさに初演ならではの、二度と再現できない瞬間を捉えた貴重な音楽遺産だと思わざるを得ない。
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……… 音源情報
● リゲティ:100台のメトロノームのためのポエム・サンフォニック
録音時期:1963年9月13日
録音場所:オランダ・ヒルフェルスム
録音方式:モノラル(ライヴ)