ギリシャ系アメリカ人の偉大なソプラノ歌手マリア・カラスは、1923年12月2日にニューヨークで誕生した(1977年没)。昨年末、ちょうど生誕100年目を迎えたことになる。これを記念して彼女の音楽祭音源がないかと調べてみたところ、ヘルベルト・フォン・カラヤンとの共演で有名なドニゼッティの歌劇《ランメルモールのルチア》が残っていた。1955年9月の「ベルリン芸術週間=現在のベルリン音楽祭」でのライブ録音だ。

この共演が実現するには、とある夫婦の存在が絡んでいる。EMI傘下のHMV(His Master’s Voice)のレコーディング・プロデューサーであったウォルター・レッグと、彼の妻でこちらも有名なソプラノ歌手のエリザベート・シュヴァルツコップだ。レッグの回想録によれば、ある時、ちょうど二人はカラスが公演中であったローマに滞在していたという(『レコードうら。おもて』音楽之友社)。

その夜、レッグは妻や他の同伴者とは別行動を取り、仕事で出かけるという口実でスカラ座にカラスを聴きに行ったのだが、ベッリーニの《ノルマ》の第一幕を聴いて、すぐさま妻にこう電話したのだという。「びっくりするほど素晴らしいものがあるからすぐさま来るように」と。ところが妻は妻で、こう答えてその魅力的な誘いを断った。「ラジオでマリア・カラスとかいう人のアリア集の初め半分を聴いたところだ。このままつづけて残りの半分を聴きたいから(中略)、絶対ここを動かない。」

公演後、レッグはカラスの楽屋へ赴き、自らのレコード会社EMIとの専属契約を申し入れたという。これは1951年のことだと書かれているが、記録によればカラスがローマ歌劇場で《ノルマ》を歌ったのは、1950年の2、3月のことである。あるいは上の文章にスカラ座とあることを信じれば、場所はミラノだったことになるが、そうだとすれば1952年の1、2月だろうか(4月にも一度出演しているが、これは時期的に見て遅すぎる)。

いずれにせよ、なんとか契約を交わしたレッグが、1953年1、2月にフィレンツェで最初の録音に選んだのは《ルチア》だった。この時の指揮者は、イタリア・オペラの第一人者トリオ・セラフィン。レッグはその録音の「第二幕の最後の三分間」をテープにダビングし、カラヤンに聴かせてみたという。と、最初乗り気でなかった彼が、「私の棒でステージにかけよう」と言い出すのにそう時間はかからなかった。翌年、スカラ座で行われた公演は大成功。さらにその1年後、その舞台をそのまま西ベルリンに持ちこんだのが、今回の録音である。

前置きが長くなったが、こうして実現したこの引越し公演の《ルチア》は、実に素晴らしい記録だ。カラヤンはこの年の4月、ベルリン・フィルの終身常任指揮者に就任したばかり。ヨーロッパの主要な都市での活躍が始まっており、まさに手をつけられない程の上り調子にあった。歌手の魅力ばかりが注目されるイタリア・オペラにあって、彼が振ると、オーケストラの劇的迫力や多彩な表現力、という大きなアドヴァンテージが生じる。

カラスはカラスで、この年、まさに充実の時を迎えていた。5月のスカラ座での《椿姫》は、空前の大当たり。演出のルキノ・ヴィスコンティに言われ、100キロ以上あった身体をダイエットして舞台に上がった彼女は、リアリズムに徹した迫真の演技で薄幸のヴィオレッタを演じ切って聴衆の度肝を抜いた。その勢いそのままに乗り込んだベルリンでも、幾分軽くなった声を駆使し、一族の血と運命に弄ばれる一人の女性としてのルチアを、20世紀のベルリンに蘇らせた。

第一幕では憧れの恋人を待つ可憐な少女の雰囲気をまとって登場するが、すぐに振り幅の大きい表現で観客を鷲掴みにする。その後の有名な「狂乱の場」では一転して虚ろな心で弱音のパッセージを歌うという具合で、まさに変幻自在な歌である。さらにエドガルドを歌うジュゼッペ・ディ・ステファノが、カラスに負けじと名唱で応えている。他の共演者もタレントが揃い、第2部の有名な6重唱は、熱狂する会場の声に応えて何とアンコールされている。

シュヴァルツコップは回想録の中で、カラスとカラヤンの《ルチア》での共演について特別に言及し、「将来、決して忘れることはないでしょう」と絶賛している。この後、彼女は、レッグがプロデュースしたプッチーニ《トゥーランドット》全曲盤で、カラスが演じる氷の心を持つトゥーランドット姫を説き伏せる重要な役柄であるリューを歌い、実に見事なサポートを見せている。才能を認め合った不世出の歌手同士の、暖かい心の交流をここに見ることができる。


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……… アルバム情報

 ● ドニゼッティ:歌劇《ランメルモールのルチア》全曲

  マリア・カラス(ルチア)
  ジュゼッペ・ディ・ステーファノ(エドガルド)
  ローランド・パネライ(バリトン)
  ニコラ・ザッカリア(エンリーコ)、他
  ミラノ・スカラ座合唱団
  ベルリンRIAS交響楽団
  ヘルベルト・フォン・カラヤン(指揮)

  録音時期:1955年9月29日
  録音場所:ベルリン市立歌劇場
  録音方式:モノラル(ライヴ)


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