今年4月、「音楽祭の記憶」コーナーで1950年のプラード音楽祭について書いたところ、「プラード音楽祭で録音に使った録音機が、名ピアニスト、ディヌ・リパッティの最後の録音のため急きょスイスに回された」という情報をTwitterでいただいた。 「音盤探偵」としては、これは放っておけない(笑)。調べてみると、彼の「ショパン:14のワルツ集」の古いLP(東芝AB-8052)の解説の中に上野一郎氏による以下の一文を見つけた。

<1950年5月末、ジュネーヴのリパッティの主治医デュポア=フェリエール博士から、「リパッティ録音可能、すぐ準備せよ」の電報をEMIは受けとった。主治医の説ではコーチゾンによって病状は一時軽快したが、その効果はせいぜい2ヵ月しか続かないという。そこで仕事は急ぐ必要があった。(中略)録音装置は仏HMVが南仏プラドのカザルス音楽祭の録音のために米コロンビアに貸与中の最新型装置をスイスに回送させることにした>

この時、新薬によってリパッティの病状は一時的に回復。7月初旬、英コロンビアのプロデューサー、ウォルター・レッグは、ラジオ・ジュネーブのスタジオを借りて、上記の「ワルツ集」やバッハ、モーツァルトなどの貴重なスタジオ録音群を残すことができたのである。

その後、9月16日には、ブザンソン音楽祭における有名なラスト・リサイタルが行われ、それがリパッティの生涯最後の録音となる。だが、彼はその前月の8月にもルツェルン音楽祭に参加し、ヘルベルト・カラヤン指揮のルツェルン祝祭管弦楽団とモーツァルトのピアノ協奏曲ハ長調 K.467をライブ録音していた。ここでもリパッティの素晴らしいピアノが聞けるのだ。

リパッティとカラヤンは2年前、1948年の春、やはりレッグのプロデュースによりシューマンのピアノ協奏曲イ短調を収録している。日本では円谷プロの特撮作品『ウルトラセブン』の最終回で使われたことでも知られている名録音で、いまだにこれを同曲のベストにあげる人もいるくらい。ただ、リパッティは、カラヤンの伴奏に対しては、あまりいい印象を持たなかったらしい。

リパッティは後に「指揮者は素晴らしい人ですが、超古典的というか、演奏者の内に秘めたロマンティックな情熱というものを引き出してくれるのではなく、気楽に弾こうという気持ちを抑えつけ、演奏者の意図を斟酌しようとしません」とか、「このレコードは大評判で引っ張り凧になっていますが、だからといって出来具合がよかったということにはなりません」と語っている。

確かに、リパッティがカラヤン以外の指揮者と組んだ協奏曲録音は、管弦楽部分を中心に情緒纏綿としたムードで奏でられているものが多い。ショパンなど特にそう。指揮者との力関係もあるだろうが、それがリパッティの望んだ表現・テンポだったという可能性は高い。

だからと言って、その結果生まれてきた音楽が聞き手にとっても最上かというと、それはまた別の話だろう。上述のシューマンの協奏曲を聞いても、真剣での斬り合いのような両者の掛け合いは、本当に見事というに尽きる。その点では、このアルバムに収められたモーツァルトも同じ。カラヤンは一切の容赦なく臨時編成の祝祭オーケストラを駆り立てている。が、一方で、ピアニストにもきちんと見せ場を用意している。

一例をあげれば、第1楽章が展開部に入り、独奏ピアノを迎え入れる時の絶妙なルバート。事実、その後に続く展開部における短調の深い響きは、まさに稀代の名演というにふさわしい。カラヤンの緩急自在な伴奏があったからこそ、リパッティのピアニズムが引き出されたと考えざるを得ない。そして楽章末には、この演奏の最大の見せ場、リパッテイ自作の約2分37秒にもわたる神懸かり的なカデンツァが待っている。いつもノーブルで端正なリパッティのピアノが、ここまで燃え上がった例を僕は知らない。

実は、今回紹介するinaの復刻CDには、リパッティへのラジオ・インタビューがついていて、そこではこのカデンツァへの特別な思いを吐露している。また共演した祝祭管弦楽団を褒めるだけでなく、「カラヤンさんは見事に伴奏してくださいました」と、今度は肯定的に答えている。

リパッティの真意がどこにあったのかは、今となってはもはや確かめようもない。しかし、このカデンツァで聞くことのできる演奏は、崇高なまでに輝いている。まるで、ろうそくの火が、消えかけるその瞬間に一段と燃え盛るときのように……。ディヌ・リパッティ、その名は、ルツェルン音楽祭の栄光の歴史に、カラヤンの名とともに永遠に刻まれたのである。


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……… アルバム情報

● リパッティへのインタビュー(モーツァルトのピアノ協奏曲、カデンツァについて)

● モーツァルト:ピアノ協奏曲第21番ハ長調 K.467

 ディヌ・リパッティ(ピアノ)
 ルツェルン祝祭管弦楽団
 ヘルベルト・フォン・カラヤン(指揮)
 1950年8月23日(ライヴ)

● プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第5番ト長調 Op.55

 サンソン・フランソワ(ピアノ)
 ニューヨーク・フィルハーモニック
 レナード・バーンスタイン(指揮)
 1960年10月29日 ニューヨーク、カーネギー・ホール(ライヴ)

● ドビュッシー:レントより遅く 初出

サンソン・フランソワ(ピアノ)
1962年1月23日、ラジオ番組「Les grands interpretes」


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