夏のドイツを代表する音楽祭「バイロイト音楽祭」は、リヒャルト・ワーグナー(1813-1883)が自らの楽劇作品だけを演奏するために、専用の劇場まで建てて始められた音楽祭である。しかし、その劇場の定礎式(1876年)では、ワーグナー自身の指揮によってベートーヴェンの交響曲第9番が演奏されたという。
ワーグナーは、当時あまり演奏される機会のなかったこの曲を自ら編曲までして蘇演するくらい、ベートーヴェンを、そして彼の交響曲等に大いなる敬意を払っていたのである。そうした故事に従い、バイロイト音楽祭では、それ以降もワーグナー以外の作品では唯一この「第九」交響曲が特別に演奏されることがある。オープニング以降のバイロイト音楽祭における「第九」の演奏記録を、ここで見ておこう。
・1933年 リヒャルト・シュトラウス
・1951年 ヴィルヘルム・フルトヴェングラー
・1953年 パウル・ヒンデミット
・1954年 ヴィルヘルム・フルトヴェングラー
・1963年 カール・ベーム
・2001年 クリスティアン・ティーレマン
この中では、第二次世界大戦で音楽祭がしばらく中断を余儀なくされた後、1951年に再開された折のヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)の指揮による演奏が、つとに有名だ。この時の演奏はEMIによってライブ録音され、名演・名盤として70年以上にわたって発売され続けている。通常、“バイロイトの第九”と言えばこの盤を指すことが、音楽ファンの間では定着している。
が、近年この時の演奏が、実は「本番演奏そのものではなかったのでは?」という疑問が提示され、この顛末については昨年末のこの「銘盤録」でも取り上げた。遅ればせながら結果報告をさせてもらうなら、EMI録音にはリハーサル時とおぼしきの音が混じっていた。といっても、フルトヴェングラーと祝祭管弦楽団による演奏に変わりはなく、この演奏記録の価値が下がったわけではない。
閑話休題。さて、ディスクとしてはフルトヴェングラーの他に、カール・ベーム(1894-1981)のライブ演奏が「ORFEO DOR」レーベルから発売されている。今回はこれを聞こう。この年は「ワーグナーの生誕150年・没後80年」という記念の年だった。ベームは前年、《トリスタンとイゾルテ》でバイロイト・デビューを果たしていて、それ以後、「新バイロイト」と呼ばれる清新なワーグナー演奏を牽引していくことになる。
この1963年のベームの「第九」は、まさにそうした勢いを表したものと言える。きびきびとしたテンポとはっきりとしたアクセントで音楽を進めていて、前半2楽章は凄い迫力。一方、第3楽章の始まりなどはよく弦を歌わせていて、音楽はいくぶん夢見心地になる。とはいえ、全体としては、極めてダイナミックな音楽づくりが特徴だ。
それが顕著なのが終楽章。緊張感あふれる表現で、長いこの楽章を一気呵成に進めていく。音楽祭のオーケストラは臨時編成なのだが、ここではベームのアグレッシブな棒に良く食らい付いている。例によって名匠ヴィルヘルム・ピッツが担当していると思われる合唱パートも、さすがに力強く聞き応え十分だ。
ベームの「第九」は、1950~80年代にかけてそれぞれの年代に演奏記録が残っている。その中でも、この演奏は劇的なことにかけては随一。ベームは年齢的にはフルトヴェングラーとは6つしか違わないのだが、演奏様式的には二世代くらいモダンに聞こえるのは、ちょっとした驚きでもある。
ベームは我が国では最晩年になって人気が急上昇した感がある。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団との来日公演などで暖かくふくよかな音楽を披露、“好々爺”の老巨匠というイメージが強い。しかし、壮年期の覇気に満ちたベートーヴェン演奏を聞いて、彼の本質的な「新しさ」に思いを馳せるもの悪くない。
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……… アルバム情報
ベートーヴェン:交響曲第9番《合唱付》
● ベートーヴェン:交響曲第9番《合唱付》
グンドゥラ・ヤノヴィッツ(ソプラノ)
グレース・バンブリー(メゾ・ソプラノ)
ジェス・トーマス(テノール)
ジョージ・ロンドン(バス)
カール・ベーム(指揮)
バイロイト祝祭管弦楽団&合唱団
録音時期:1963年7月23日
録音場所:バイロイト祝祭劇場
録音方式:モノラル(ライヴ)