米国のソプラノ歌手マルティナ・アロヨ(Martina Arroyo)が10月13日、マンハッタンの自宅で亡くなった。90歳だった。ニューヨークのメトロポリタン歌劇場をはじめ、主要なオペラハウスで確固たる地位を築いた黒人アーティストの「第一世代」の一人として、1960年代から1980年代にかけて世界的に活躍した。
ニューヨーク・ハーレムの生まれ。プエルトリコ人の父親、アフリカ系アメリカ人の母親という家庭で育ち、幼い頃からバレエやピアノのレッスンを受け、教会の聖歌隊で歌うなど芸術に親しむ環境の中で成長した。声楽を学ぶと同時にハンター・カレッジ、ニューヨーク大学の大学院で学んだ。
卒業後もブロンクスの公立学校でイタリア語を教え、市の福祉局でケースワーカーとして働きながら声楽のレッスンを継続、1958年にメトロポリタン歌劇場の「オペラ・オーディションズ・オブ・ジ・エア」に合格して本格的な研鑽を積み、カーネギー・ホールで上演されたピッツェッティのオペラ《大聖堂の殺人》のアメリカ初演に出演して歌手デビューを飾った。
その翌年1959年、ヴェルディ《ドン・カルロ》の天上の声役でメトロポリタン歌劇場にデビュー。しかし、その後は渡欧してヨーロッパ各地の歌劇場で歌い、そのドラマチックな歌唱と演技で知られるように。1965年、体調不良のビルギット・ニルソンの代役としてヴェルディ《アイーダ》のタイトル・ロールを歌って大成功を収め、一晩にして名声を確立した。
メトロポリタン歌劇場ではその後、20シーズンにわたり200回出演。アイーダの他、ドンナ・アンナ、蝶々夫人、リュー、サントゥッツァ、ジョコンダ、エルザといった役柄で活躍。 1970年代初頭には3度にわたりシーズンの開幕公演で主役を務めた。1968年にロンドンのロイヤル・オペラ、1972年にミラノ・スカラ座、パリ国立オペラなど著名な歌劇場に次々にデビューを重ねた。
その一方、国内外で数多くのマスタークラスを開催、チャイコフスキー国際コンクールをはじめとする数々のコンクールで審査員を務めた他、1993年にインディアナ大学ジェイコブズ音楽院の特別教授に就任、2007年までオペラの指導に当たった。また、2003年に財団を設立して、若手歌手の活動を支援してきた。
気取らず、快活で、飾らない人柄で、テレビ番組にも数多く出演、オペラの「堅苦しく、親しみにくい芸術」というイメージの払拭に務めたことでも知られる。2010年の全米芸術基金のオペラ部門賞、2013年のケネディ・センター名誉賞など、受賞多数。
写真:Metropolitan Opera / Louis Mélançon
訃報 〓 マルティナ・アロヨ(90)米国のソプラノ歌手
2026/10/15
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