オーストリアでは記念切手も発売された「マーラー生誕100年祭」に招かれたブルーノ・ワルターが、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の特別演奏会の指揮台に立ったのは1960年5月29日のことだった。ウィーン芸術週間の初日のマチネー公演。学友協会大ホールの聴衆は、総立ちでワルターを迎えたという。
この時の演奏会が、ウィーン・フィルとの最後の共演になった。ワルター、83歳。老指揮者は、そして、ウィーンの聴衆もそれを解っていたのだろう。このライブ録音には、オーケストラの神々しいまでの響きが収められ、このコンビの長いお別れを感動的に伝えるまさに貴重な「レコード=記録」となっている。
ワルターは1876年、ベルリンに生まれた。1901年にグスタフ・マーラーによってウィーン宮廷歌劇場の副指揮者に招かれ、後に楽長に。その後、ミュンヘン宮廷歌劇場音楽監督、ベルリン市立歌劇場音楽監督、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の楽長などを歴任。ベルリン・フィルでは「ブルーノ・ワルターコンサート」という演奏会を持つ人気指揮者に。
しかし、ユダヤ人であったが故に、ナチス・ドイツの迫害を受け、1933年にはオーストリアに亡命。ナチスがオーストリアを併合した1938年以後は、ヨーロッパ各国を渡り歩いた後、最終的には1939年の第二次世界大戦の開戦によりアメリカに亡命せざるを得なくなった。ヨーロッパの地で再びウィーン・フィルと再会したのは、戦争が終わった1947年。既に齢70を越えていた。
以後、懐かしいウィーン・フィルにも数年おきに客演をするようになるが、80歳になった1956年には第一線から引退、カリフォルニアに移住した。その彼が、恩師であり、友人でもあったマーラーの生誕記念ということで無理を押して、ウィーンの地に再び立ったのだ。史上最も美しいフェアウエル・コンサートがここに残されたことに、我々ファンは感謝するほかない。
その日の演目は、シューベルトの交響曲《未完成》、マーラーの交響曲第4番、同じくマーラーのオーケストラ付きの歌曲3曲。特にマーラーの交響曲の第3楽章のポコ・アダージョは、極めてゆっくりした低弦のピチカートで始まり、終止やさしい歌と追憶が、波打ち際の波のようにひたひたと迫ってくる、ついぞ聴いたことのないような名演となっている。
それにしても、ここに聴かれるヴァイオリンやチェロの陶酔的な響きは、どう例えれば、どう表現すればいいのだろう。僕は昔のウィーン・フィルならなんでもありがたがるような懐古趣味は持ち合わせていない方だと思っているけれど、この演奏を聴いてしまった後では、それも納得という気がしてくる。
マーラーの独唱は、ソプラノのエリーザベート・シュヴァルツコップ。流石に第一声を聞いただけで、凡百の歌手とは格が違うことがわかる。最後の歌曲“私はこの世に忘れられ”でも、ゆったりと「彼岸の音楽」を奏でているオーケストラにぴったり寄り添いながら、例によってまるで語るように歌う至芸を見せている。そして、その後には、万感のこもった後奏が続くのみである。
僕は二枚組のLPを大事に聴いてきたが、今では複数の会社がCD化していて、もっと手軽に聴けるようになった。ただ、最近リリースされたAltus盤(ALT267)には、なぜか既出盤にあった“私はこの世に忘れられ”が収録されていない。動画サイトに上げられているので、ぜひお聞きいただければと思う。
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……… アルバム情報
Disc1
● シューベルト:交響曲第8番ロ短調《未完成》
Disc2
● マーラー:子供の魔法の角笛より第9番《トランペットが美しく鳴り響くところ》
● マーラー:リュッケルト歌曲集より第4番《私は仄かな香りを吸い込んだ》
● マーラー:交響曲第4番ト長調
エリーザベト・シュヴァルツコップ (ソプラノ)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ブルーノ・ワルター(指揮)
録音方式:モノラル
録音時期:1960年5月29日, ウィーン/ムジークフェラインザール