[劇場名]王立モネ劇場
The Royal Theatre La Monnaie
[所在地]ブリュッセル … ベルギー
Brussels … BELGIUM
[開場年]1856年
[客席数]1,150席
…… 王立モネ劇場 / The Royal Theatre La Monnaie
[総監督]2005 ▷
ペーター・ドゥ・カルウェ / Peter de Caluwe
[音楽監督]2016 ▷
アラン・アルティノグリュ / Alain Altinoglu
この劇場は歴史の舞台になった。1830年、上演中のオペラに魂を揺さぶられた観客が当時の支配者であったオランダに対して暴動を起こしたからだ。その作品とは、フランソワ・オベール作曲の《ポルティチの聾唖の娘》。ナポリの魚屋がスペインの支配に対して起こした一揆を題材にした作品で、1828年にパリで初演されている。時のオランダ王ウイリアム1世が上演を許可したことが翌1831年のベルギーの独立を呼び込んだのだから、歴史は何とも残酷だ。
独立運動の起点となった劇場は、1819年にオープンした2代目の建物。1700年の開場で老朽化していた初代の劇場の真後ろに建てられた劇場で、その建設を命じたのは、あのナポレオンだ。彼はフランス革命軍を率いて1792年にブリュッセルを占領、1800年に新しい劇場の建設を命じた。完成した時にはもう、彼は歴史の表舞台から消えていたのだけれど。
2代目の劇場は1855年、火事で外壁と列柱を残して全壊。それで現在の建物、3代目の劇場が翌1856年に完成した。設計はブリュッセル最高裁判所などを手掛けたジョセフ・ポウラエール。新古典様式の美しい建物で、天井画は「文化の保護者ベルギー」。ファサードのレリーフはウジェーヌ・シモニスの「情熱のハーモニー」、階段のフレスコ画はベルギー象徴派の画家エミール・ファブリが手掛けている。
1981年、後にオペラ界の名プロデューサとして名を馳せるジェラール・モルティエが38歳の若さで総監督に就任。任期10年の間に大胆なプログラミングや気鋭の演出家の起用を通して話題を集め、1985年に大改修工事を行って劇場内にソル・ルウイットやサム・フランシスといった現代美術の巨匠たちの作品を取り込んで劇場の存在感を高めた。1998年には開場300年を記念して、舞台オルガンも復元されて現在に至る。2002年から2008年にかけて大野和士が音楽監督を務めていたことも記憶に新しい。
意外な話だが、この劇場が王立劇場になったのは、第二次大戦後の1963年だった。つまり、前身は宮廷劇場ではなく、ベネチアやフランクフルト、ライプチッヒのように豊かな経済状況の後押しを受けて誕生した劇場だ。ちなみに劇場名になっている”La Monnaire”は、フランス語で貨幣を意味する。初代の劇場が建てられた場所が造幣局の跡地だったことに由来する。
この劇場、あのモーリス・ベジャールの20世紀バレエ団の本拠地だったことでも知られる。劇場側は専属のバレエ団がないことを逆手に取り、外部のダンス・カンパニーを“レジデンツ・カンパニー”に招くというスタイルを採用したことで、時代の空気を取り込むことに成功した。ベジャールの代表作《ボレロ》は1960年、この劇場で初演された。1980年公開のクロード・ルルーシュ監督の映画『愛と哀しみのボレロ』の、ジョルジュ・ドン主演の名ステージで不朽の名声を得た。
そのベジャールは1987年、モルティエと対立してスイス・ローザンヌに本拠地を移したが、1992年から今度はアンヌ・テレサ・ド・ケースマイケル率いる「ローザス」がレジデンス・カンパニーに。ベルギーを名実ともにリードするダンス・カンパニーと劇場による協業は、コンテンポラリー・ダンスの専門学校「P.A.R.T.S.=パーツ」の設立にまで発展した。
ベルギー自体がオランダ語系住民、フランス語系住民、ドイツ語系住民によって構成される国家で、さまざまな文化が共存、また対立してきた。ブリュッセルもそうしたお国柄から、クロス・カルチャーな街として発展、その利を感じ取って国際機関も蝟集する。EU(欧州連合)の政策執行機関である欧州委員会の本部が置かれるEUの首都でもあり、NATO(北大西洋条約機構)の本部もここにある。チョコレートは言うに及ばず、世界有数の美食の都としても名高い。