今から20年ほど前になるだろうか。指揮者・小澤征爾の長女である小澤征良さんが書いた『おわらない夏』というエッセイがベストセラーになったことがある。その中の一文に、ボストン交響楽団の夏の本拠地タングルウッドで行われる「タングルウッド・オン・パレード」という特別な日のコンサートのことが登場する。
………タングルウッド・オン・パレードの日はいつも八月末に予定されている。一夏のしめくくり。それは夏の初めにはとても遠い気分で考える日だったし、実際にその日がくるとそろそろ夏休みの宿題が終わっていないとマズい頃だった。子供だった私たちがその日を楽しみにしていた理由には、この小さな田舎町レノックスの町じゅうが盛り上がった気分にあふれるから、というのと、もちろん一年に一回の蒸気機関車に乗れるということ、そしてその日のコンサートの最後に演奏される「1812年」があるからだった………
ここで触れられている「1812年」とは、チャイコフスキー作曲の大序曲《1812年》のこと。もともと、この曲の初演もモスクワ大寺院の前の広場で行われたというし、ピクニックコンサートや野外コンサートにこそ相応しい曲だろう。曲は、同年のナポレオンのロシア侵攻と、それを迎え撃ったロシア軍との戦いを描いたいわゆる“戦争もの”の標題音楽だが、だからといって、ただの騒がしい曲というわけではない。
ギリシア正教の古い聖歌、「ラ・マルセイエーズ」、ロシア民謡の懐かしい響き、凍てつく凍土に響く舞曲の調べ……戦いを表す激しい描写の間に、チャイコフスキー特有のメランコリックな旋律をあちこちにちりばめ、全体をシームレスに繋いだ作曲技法と効果的な管弦楽法はさすがだ。「はじめて好きになったクラシック音楽」と小澤征良さんが書いたように、僕も10代の頃、よく聴いた憶えがある。
この本を読んだ時、何十年ぶりくらいにこの曲が聴きたくなって、今はほとんどなくなってしまった街のCDショップに出かけていった憶えがある。だが、小澤征爾指揮でボストン響が演奏しているものは、ありそうでなかった。
そこで代わりに買ったのが、同じ小澤がベルリン・フィルを振ったアルバム。分厚い弦と強靭なブラスがいかにもベルリン風で、そこに相変わらずのセンスの良さと瞬発力が加わり、タングルウッドで聴衆を魅了した指揮ぶりを彷彿とさせる。
ただ今回、これでは<音楽祭の記憶>にならないので、改めてボストン響の演奏するアルバムを探してみた。すると、1979年にコリン・ディヴィスの指揮、ボストン響、タングルウッド音楽祭祝祭合唱団が共演している一枚が見つかった。ディヴィスは1972年から1984年までボストン響の首席客演指揮者を務めていたことがあり、録音に起用されたものと思われる。
冒頭と最後の聖歌部分にロシア語の合唱が加わっていて、気分は一気にロシアの平原へ。祝祭合唱団の低音パートは非常に充実していて、これも聞き応え十分。名匠ディヴィスの指揮もさすがに手慣れたもので、要所要所で緩急をつけながら丁寧に音楽の流れを紡いでいる。最後にはタングルウッドの会場よろしく、大砲の実音も加わり、臨場感は抜群である。
………全身全霊をこめて指揮をする後ろ姿の父が、ばっ、と観客のほうを振り返って指揮のキューをだすと、地響きと共に大砲が山の向こうで鳴った。チャイコフスキーの「1812年」にあわせて大砲は次々と山の静かな夜空を震わせた。おどろいた観客は一斉にどよめいて、後ろを振り返る。やがて大砲にあわせたように大きな花火が夜空をかざりはじめる………
そして……。賑やかなパレードの夜が過ぎ去ると、“おわらない夏”の終わりが忍び足で訪れるのである。
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……… アルバム情報
1812年、剣の舞/ロシア管弦楽曲名曲集
● グリンカ:歌劇《ルスランとリュドミラ》序曲
● ムソルグスキー:交響詩《はげ山の一夜》
● ボロディン:ダッタン人の踊り
● ボロディン:交響詩《中央アジアの草原にて》
● リムスキー=コルサコフ:序曲《ロシアの復活祭》
● ハチャトゥリアン:バレエ《ガイーヌ》より“剣の舞”
● チャイコフスキー:大序曲《1812年》
コリン・ディヴィス(指揮)
ボストン交響楽団他
録音時期:1979年
録音場所:アメリカ・ボストン / タングルウッド音楽祭
録音方式:ステレオ(ライヴ)