今回も、1967年にウィーン・コンツェルトハウスで行われた世紀の「マーラー・ツィクルス」の話。前回、「ツィクルス」について吉田秀和が来日中のロリン・マゼールから聴いたという話を紹介した。ところが、その会話に、晩年の大作《大地の歌》のことが出て来ない。しかも、その指揮を担ったのが、かのカルロス・クライバーだったというのに。

それは、なぜか? これはあくまでも想像だが、クライバーは既に歌劇場を中心に活動していたとはいえ、当時はまだまだ無名であったからと思う。わざわざ名前を挙げるまでもない指揮者と考えたからこそ、吉田も「ツィクルス」の中身を紹介する中で《大地の歌》に触れなかったのだろう。

当時は商業録音もなかったわけだから、それも仕方がないのかもしれない。名門レーベル「ドイツ・グラモフォン」にウェーバーの《魔弾の射手》全曲を録音、さっそうとデビューを果たすのは1973年末のことだ。しかし、既に彼の才能に見抜いていた人物がいた。彼を推薦した大物演出家のオットー・シェンクだ。

クライバーの方は指揮を引き受けたものの、レパートリーにマーラーはなかったという。そこで、名指揮者であった亡父エーリッヒのライバル兼友人でもあったオットー・クレンペラーに教えを請うことになり、彼の元を訪ねた。クレンペラーはワルターと並んで、マーラーの直弟子と目されていた指揮者だ。

しかし……。カルロスの伝記を読むと、クレンペラーの対応は期待はずれもいいとこ。二人がディスカッションしたのは、同じマーラーの作品でも交響曲第1番《巨人》で、クレンペラーはもっぱら自分自身についての逸話を1時間ほど話し続け、「お若いの、もう時間がない」と話を打ち切ろうとしたという。クライバーが「でも交響曲についてお話しいただくはずでは」と食い下がると一言、「うん、それはとても込み入った作品だよ」。

さて、そうした経緯はあったものの、ウィーン交響楽団を指揮した演奏会は、概ね好評裡に終了した。ただ、一部で批判があったとも伝わっていて、それを気にしたのか、クライバー自身は後に「ウィーンの演奏会の録音テープは捨ててしまったよ」と語っていたとも伝えられる。クライバーの本音は今では不明だが、以後、彼がマーラー作品を指揮することは二度となかった。

録音を聞くと、要所要所でクライバーらしいしなやかなフレージングを聞き取ることができるし、オケの音色や響き具合に十分気を使っているところも彼らしい。が、まだまだ主情的かつロマンチックなマーラー演奏が主流だったこの時期にあっては、まさにこれらの特徴が特徴として理解されなかったのだろう。つまりは、新しかった、ということでもある。

独唱者は、テノールのヴァルデマール・クメントと、アルトのクリスタ・ルートヴィヒ。この二人の人選、つまり、当時のクライバーの立場からみると、大物の起用ということになる。まさにこれはクレンペラーのアドバイスを受けた結果と想像されるが、ともに十分気合いの入った歌唱で期待に応えている。

ただ、最終楽章の大詰めで、アルトが、つまり、ルートヴィヒが「永遠に……、永遠に……」と歌い出すところでは、演奏効果の面からフォルテッシモで歌いたい歌手と、ピアノを求める指揮者の間で意見の相違があったと伝えられる。二人のうちどちらが折れたのか、ぜひ注意して聞いてほしい。

さて、「ツィクルス」全体に話を戻すと、ここではベテランと新鋭とが適度に組み合わされており、マーラー演奏の多様性が広く認識されたことの意義はいくら強調しても強調しきれない。程なくして、「ツィクルス」に参加したバーンスタイン、クーベリックによる交響曲全集が完成した。

さらに1970年代に入ると、アバド、マゼールに代表される若手が怖れもなくマーラーの大曲を取り上げ始め、レコード会社もそうした大物セットを競うように発売していった。その始まりがこの「ツィクルス」にあったと思うと、まさに興味は尽きない。


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……… アルバム情報

 ● マーラー:大地の歌
  クリスタ・ルートヴィヒ(アルト)
  ヴァルデマール・クメント(テノール)
  ウィーン交響楽団
  カルロス・クライバー(指揮)

  録音時期:1967年6月7日
  録音場所:ウィーン / ウィーン コンツェルトハウス
  録音方式:モノラル(ライヴ)


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