ロンドンっ子の夏のお楽しみ、BBCプロムス。1895年から開催されているというから、優に100年を越える長い歴史を持つ。この間、いろいろな名演が繰り広げられてきたが、今回はその極め付け、1969年8月9日に開かれた「プロムスにおけるウィーンの夕べ」と題されたコンサートを聞こう。
出演したのは「サー・ジョン」の愛称で親しまれた指揮者ジョン・バルビローリと、彼の主兵であったハレ管弦楽団。1953年の初登場以来、このコンビのその年のプロムスにおける最終コンサートは、ハイドンやモーツァルト、シュトラウス・ファミリーといったウィーンゆかりの作曲家の作品を演奏するのが恒例になっており、これは当時、プロムスの名物企画の一つだったようだ。
最初の曲は、ヨーゼフ・ハイドンの交響曲第83番ト短調。《めんどり》というあだ名のついた曲で、バルビローリはこの曲がお気に入りだったと見える。セッション、ライブともに複数の録音が残っている。いきなり短調で始まる曲だが、ドイツ系の指揮者にありがちなように悲壮感を前面に出したり、即物的になり過ぎたりすることはない。適度なユーモアと余裕とを備えた上質のハイドンである。
コンサートではこの後、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番も演奏されたようだが、その後のヨハン・シュトラウスの《こうもり》序曲、《皇帝円舞曲》あたりでは、バルビローリのタクトは自由度を増し、オケも完全にノッている。終了後の観客の拍手と歓声は既に尋常ではなく、このあたりから会場は大盛り上がりとなってくる。
《トリッチ・トラッチ・ポルカ》は、通常の2倍くらいの遅いテンポで始まるのでびっくり。途中だんだんとテンポをあげてくるが、冒頭の旋律が戻る箇所で、いきなり音楽はストップ! 会場は大爆笑するが、指揮者はしてやったりとばかり、何食わぬ顔で再び音楽をスタートさせる。
そして、メインの曲、リヒャルト・シュトラウスの《ばらの騎士》組曲は、毎年の「ウィーンの夕べ」コンサートの最後を飾る定番になっていたようだ。曲としても、演奏としても、最も聞き応えがあるし、彼らの演奏への没入ぶりは尋常ではない。
バルビローリとハレ管については、「ハレ管は彼が着任してから生涯を終えるまで、決して技量の優れたオーケストラにはならなかった。簡単にいえば、下手なオケだ」とか、「バルビローリは誰にも優しく接したといわれているから、それがオケの技量にも響いているのだと思う」といった悪口をいう評論家もあるが、僕はそうした意見には与しない。
バルビローリの多くの録音からは、彼のオーケストラをキャリーする力が、まさに超一流であることがうかがえる。またオケに甘いどころか、弦の歌い方や内声部の厚みを出すことには、まさに異常なくらいにこだわり抜いている(彼は元々チェロ奏者だった)。そうでなければ、マーラーの主要な交響曲などを取り上げる時に、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団から毎度招かれることなどあり得ない。
ハレ管には某国営放送オーケストラのような優等生的なうまさこそないが、音楽の持つ根源的な豊かさ、温かさを表現することや、それを観客に音として伝える技術では、どの一流オーケストラにも負けないような不思議な力を持っている。そのことを端的に示すのが、この日のアンコール曲であるレハールのワルツ《金と銀》だ。
曲は序奏部分を省略、いきなりテーマから始まるのだが、そこで観客がオーケストラに合わせ、なんとハミングを始めるのだ。そうした習慣を知らない人だろうか、ここで一部の観客がざわつくのだが、ハミングはすぐに会場全体に静かに広がっていく。指揮者とオーケストラと観客……彼らはまさに一体となって楽しかった一夜を惜しんでいる。このような瞬間を“奇跡”と呼ばずして、何をそう呼ぶことができるだろうか。
最後に。これはバルビローリのプロムス最後のコンサートとなった。彼は翌年の夏、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団との初来日を目前にして心臓発作で急逝した。イギリスでは今でもバルビローリの人気は非常に高いという。この晩のような彼のコンサートを体験をした人たちがそれをずっと語り継いでいるからに違いない。「あんな素晴らしい体験にはなかなか逢えないんだよ」と。
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……… アルバム情報
●Viennese Night At The Proms
・ハイドン:交響曲第83番《めんどり》
・ヨハン・シュトラウス:《こうもり》序曲
・ヨハン・シュトラウス:《皇帝円舞曲》
・ヨハン・シュトラウス:《トリッチ・トラッチ・ポルカ》
・ヨハン・シュトラウス:《無窮動》
・リヒャルト・シュトラウス:《ばらの騎士》組曲
・レハール:《金と銀》
サー・ジョン・バルビローリ指揮
ハレ管弦楽団
録音時期:1969年9月14日
録音場所:ロンドン / ロイヤル・アルバートホール
録音方式:ステレオ(ライブ)