プラハから約130キロ離れたチェコ最古の鉱山の町、イフラヴァ。ここは、作曲家グスタフ・マーラーが幼少期を過ごした街としても知られており、2002年から毎夏、「イフラヴァ・マーラー音楽祭」が開催されている。2000年に近隣にある出生地カリシュチェで、彼の生誕140周年を祝ったことを契機にイフラヴァでも音楽祭が始まった。
これまでバリトン歌手のトーマス・ハンプソンや、指揮者のズデニェク・マツァールなど、マーラー演奏で知られる音楽家も参加しているようだ。本録音は、2007年のオープニング・コンサートのライブ録音で、いわゆる後期ロマン派に属するグスタフ・マーラー、リヒャルト・シュトラウスという19世紀から20世紀にかけてウィーンで活躍した作曲家の作品が取り上げられている。
もう一人のエーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルトは、やや遅れて世紀末に生まれたが、二人の先輩とも浅からぬつながりがある。彼は、チェコのブルノの生まれ。音楽の素養があった父ユリウスによって才能を見い出され、「神童」として世に紹介される。1907年、10歳の時には、マーラの前で前年に書いたカンタータ『水の精、黄金』をピアノで演奏。それを聞いたマーラーは、何度も「天才だ!」と叫ばざるを得なかった。
12歳の年には、それまでに書いたバレエ音楽《雪だるま》、ピアノ・ソナタ第1番、6つのピアノ小品《ドン・キホーテ》が出版され、それを見たシュトラウスはあまりに早熟な天才の将来に“戦慄と恐怖”を感じ、真摯な助言を父親への手紙で書き送っている。「今すぐこの若き天才を机と音楽から引き離し、彼を田舎に送ってそり遊びやスキーをさせるべきです」。
シュトラウスの心配をよそに、コルンゴルトは作曲家として順調に成長。23歳で作曲したオペラ《死の都》は彼に世界的名声をもたらす。が、やがてナチスの台頭により、ユダヤ系だったこともあってアメリカに亡命せざるを得なくなる。新天地においても映画音楽の分野でも大いに才能を発揮するが、晩年は不遇であったといわれている。
しかし近年、“コルンゴルト・ルネッサンス”と称される再評価の機運が高まっており、その作品を演奏会で聞く機会も増えてきている。ヴァイオリン協奏曲は戦後1945年の作で、コルンゴルトの代表作でもある。映画音楽の旋律をふんだんに使って書かれており、きらびやかな管弦楽の響きは、まるで彼が華やかだった「黄金の20年代」を追憶しているかのように激しく高鳴り、やがて虚空に消えていく。
いまの耳で一聴すると、第1楽章の最初のテーマなどは、まるで《ハリー・ポッター》か何かの音楽のように聞こえるかもしれない。でも、それは順番が逆さまで、コルンゴルトらが後期ロマン派の音楽手法を使って書いた音楽こそが、ハリウッド映画における劇伴音楽の基礎を築いたのだから。
ヴァイオリン独奏は、チェコのフランティシェク・ノヴォトニー。第2楽章のロマンツェで聞かせる高弦の表現は、非常に柔らかで優美である。初演をしたハイフェッツをはじめとして、レパートリーに加える技巧派ヴァイオリニストも多いが、それらとは一線を画した落ち着きと優しさが、コルンゴルトを聞いたという確かな手触りを聞き手に伝えてくる。
共演はマルティン・トゥルノフスキー指揮のブルノ・フィルハーモニー管弦楽団。トゥルノフスキーは惜しくも先月92歳で亡くなったが、群馬交響楽団の名誉指揮者などを務めるなど日本でも知られた名匠だ。チェコの民主化を軍事力で弾圧した「プラハの春事件」で彼も若くして祖国を後にしている。
オーケストラにとって、コルンゴルドはまさに自分たちの町が生んだ作曲家であり、共感度が高いのは当然であろう。マーラーの歌曲でも、歌によく合わせて貫禄の伴奏ぶりである。独唱を務めるカルラ・ビトナロヴァーは声に独特の艶があり、この曲の表現としてはなかなかにユニークだ。
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……… アルバム情報
●リヒャルト・シュトラウス / コルンゴルト / マーラー: 作品集
・リヒャルト・シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」Op.20
・コルンゴルト:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op.35
・マーラー:リュッケルト歌曲集より
・第3番: 私の歌を覗き見しないで
・第7番: 美しさゆえに愛するなら
・第4番: 私は仄かな香りを吸い込んだ
・第6番: 真夜中に
・第5番: 私はこの世に捨てられて
フランティシェク・ノヴォトニー(ヴァイオリン)
カルラ・ビトナロヴァー(メゾ・ソプラノ)
マルティン・トゥルノフスキー指揮
ブルノ・フィルハーモニー管弦楽団
録音時期:2007年9月14日
録音方式:デジタル
録音場所:イフラヴァ(チェコ)