前世紀、当時のソ連が生んだ代表的ピアニスト、スヴャトスラフ・リヒテル(1915-1997)。バッハの平均律ピアノ曲集やベートーヴェンのピアノ・ソナタ、チャイコフスキーやラフマニノフのピアノ協奏曲、そしてムソルングスキーの《展覧会の絵》……、そうした難曲を卓越したテクニックとデーモニッシュとも言える感情表現で弾き切ってきた怪演ぶりがまず思い出される。
レパートリーも恐ろしく広く、「私はいつでも80種類の演奏会を開く用意ができている」と言ったとも伝わる。控え目に言っても、20世紀を代表する巨人ピアニストの一人であることは、衆目の一致するところだ。ただ、ピアニストで文筆にも優れる青柳いずみこの『ピアニストが見たピアニスト – 名演奏家の秘密とは』を読むと、決して功成り名遂げた人による幸せな演奏家人生だったというわけでもないようだ。
この本では、リヒテルが1975年頃から昼夜の区別なく鳴り響く幻聴や、ピアノの音が1音、時には2音も高く聞こえる聴覚障害に悩まされていたことが紹介されている。特に後者について、彼は後にインタビューで自らこう告白している。「これはまさに拷問で、もちろん運指にも影響します。一生を音楽に捧げてきた報いがこれなんです。
」
そうした事情が影響したのかどうかはわからない。が、青柳は「一九八〇年をすぎたころから彼は、舞台の照明を落とし、ピアノのそばにスタンドを置いて、譜めくりをつけながら弾くようになった」と書いている。また、大都市だけでなく、有名演奏家が行かないような小さな街でも演奏会を開き、会場も教会、学校、時に日本家屋まで、どこだって厭わなかったという。
彼は言う。「私の好むのはこういうやり方です……ある国に到着してから、地図を広げ、自分に何かを触発する場所、自分の興味をそそる場所、そして、出来ればまだ訪れたことのない場所を興行師に示します。それから車で移動します。ピアノが背後から追いかけてきます。」(『リヒテル』ブリュノ・モンサンジョン著)
今回取り上げた盤もそうした時代の演奏で、1994年の録音。この年のリヒテルは、年頭から4月まで日本で、結果的に最後となった演奏会を各地で開いている。その後、ドイツを皮切りにヨーロッパ中を巡る長い長いツアーを敢行。このアルバムは5月15日、ドイツのシュヴェツィンゲン音楽祭での演奏会を収録したもの。彼は1995年3月に最後のリサイタルを行なっているから、最晩年の演奏記録の一つと言えるだろう。
この日演奏されたのは、グリーグ、フランク、ラヴェル。グリーグの《抒情小曲集》は、いずれも複雑な演奏技巧は必要としない小曲群だが、リヒテルがこの時期になって盛んに取り上げ始めたレパートリーだ。
まずは1曲目、第7集の《感謝》を聞こう。そこにもはやピアニストはおらず、淡々と音のみが鳴っているとでもいうような演奏。自分のピアノを弾く技術を見せようとか、観客を感動させようということからは、最も遠いアプローチである。
この日は同曲集から全9曲が演奏されたようだが、CDでは《感謝》の他に3曲が収録されている。その後にフランクの《前奏曲、コラールとフーガ》で、彼の晩年のピアノ曲だが、決して取っ付き易いとは言えないこの曲から、落ち着いた抒情と宗教的な祈りに近いものを引き出している。後半のラヴェルは、得意中の得意という作品でもあり、ほんの少しピアニスティックな感興も伴う。が、決してこれも声高になることはない。
全体として数分単位の短い曲を次々と弾いていく独特のスタイルでの演奏会であり、これをずっと続けながら、彼は街から街へと旅を続けていく。その光景は、まるで果てしない「巡礼の旅」のように我々の眼に映る。ただ、彼がそれを好んで行なっていたのも事実なのだ。リヒテルは、まさにこのように言っている。
「劇場で、または礼拝堂で、はたまた学校の校庭で弾くことになるでしょう。少なくとも人々は、スノビズムからではなく、他ならぬ音楽を聴くためにやって来るのです」。
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……… アルバム情報
シュヴェツィンゲン音楽祭ライブ
● グリーグ:抒情小品集~感謝/スケルツォ/小妖精/森の静けさ
● フランク:前奏曲、コラールとフーガ
● ラヴェル:優雅で感傷的なワルツ
● ラヴェル:鏡(蛾/悲しげな鳥たち/海原の小舟/道化師の朝の歌/鐘の谷)
スヴィヤトスラフ・リヒテル(ピアノ)
録音時期:1994年5月15日
録音場所:シュヴェッツィンゲン城、ロココ劇場
録音方式:ステレオ(デジタル/ライヴ)