2018年夏のザルツブルク音楽祭におけるモーツァルト作曲《魔笛》。進境著しいアメリカの演出家リディア・スタイアー女史が、ザルツブルク初登場ということで注目されていた舞台だ。
この《魔笛》は、厳密には<オペラ>ではなく、台詞付きの音楽劇=ジングシュピール。「この作品の最大の問題は対話にあると思っています。とにかく長過ぎるのです。」とスタイアーは語っている(→本サイトの「アーティスト・インタビュー」記事)。そこで、彼女の考えた解決策はというと……。
序曲が流れているバックでは、まずもって《魔笛》の登場人物である弁者、夜の女王、3人の童子、3人の侍女らが、第一次大戦前夜の中産階級の「家族劇」を演じている。ちょっとした波乱があり、序曲の終了とともに、舞台は子どもたちのベッドールームに向かう。
すると、そこでは、原作にはない「おじいさん」役の俳優が、3人の孫たちに寝物語として『魔笛』の物語を読んで聞かせているという設定であることがわかってくる。また、それ以降、劇中劇たる物語に登場する人物は、くるみ割り人形風(タミーノ)だったり、肉屋風(パパゲーノ)だったりと、様々。ザラストロの国では、登場人物は皆、サーカスの団員風の衣装をつけていて、夢の中の奇妙な物語という風情だ。
「このオペラで、万人を喜ばせるのは凄く難しい作業です。あまりにも軽過ぎたり、深刻過ぎたり、大人びていたり、幼稚過ぎてもいけません。《魔笛》は誰もが知っていて、何回も見ている人が多くいるオペラです。多くの人がそれだけの関心持っているという意味で、ザルツブルクの伝統は脅かされていると言えるかもしれませんが、私はそれを挑戦と見なしたいと思います」と彼女は語っているが、そうした挑戦への意欲は大いに評価したいし、おそらく成功しているのではないか。幾分、“悪夢的”であることも含めて。
指揮は、ギリシャ出身の若手コンスタンティノス・カリディス。期待通り、決して安易な慣例には流されていない斬新な指揮ぶりである。歌には多めの装飾がついているし、アリアをレチタティーヴォ風に歌う箇所もあって、緩急・強弱の幅は驚くほど広い。
例えば、両幕のフィナーレや、第1・2の僧の二重唱「女の奸計から身を守れ」、3人の童子が歌う「やめなさい、ああ、パパゲーノ!」などは非常に速い。鍵盤楽器の多用などと合わせ、これらは無論、指揮者の確信犯的処置だ。
また、楽譜の扱いも注目される。まず、肉屋の!パパゲーノが登場する際の愉快な歌「おれは鳥刺し」。これは大抵の場合3番まで歌われるが、実はモーツァルトの自筆譜にはこの3番の歌詞はない。
それが今回の舞台では、2番まで普通に歌った後、召使いの女性が大きな肉切り包丁で文字通り音楽を「断ち切る」。パパゲーノは、無理やり3番の最初の歌詞の第1節を「娘が俺のものになったなら/たっぷり砂糖と交換だ」と歌い出すが、そこでストップ。フォルテピアノで3番分の音楽が流れているが、出演者は次の台詞に移っていく。
二つ目は、パミーナとパパゲーノの二重唱「愛を知るほどの殿方には」の1~2小節目における管のアコード。これもなぜか自筆譜にはないのだが、今回の舞台では「タンタンタンタン」という曲冒頭の弦の刻みが入り、その後の7拍分の休符をパミーナによる台詞「私にはあなたが善良な心を持っているのが分かるわ!」で埋めている。なので、管の合いの手はなし!
これらを見ても、カリディスやスタイアーたちが単に伝統や慣習に追随せず、モーツァルトの書いた楽譜・テキストを真摯に読み込んでいるのがわかるというもの。しかも、それがウィーン・フィルがピットに座る伝統のザルツブルク音楽祭で行われているというのだから、世の中は本当に変わったのだろう。
歌手は総じて高水準。その中でも、パミーナ役のクリスティアーネ・カルクが、その伸びのある声で出色であった。ドイツ出身のソプラノとしては、今後、ドロテア・レシュマンの後継を務めそうだ。
ザラストロ役のマティアス・ゲルネは無論、貫禄の歌唱だが、真っ青なメイクで根暗のサーカス団長を演じていて、これは演出とはいえ、ある意味かわいそう。フェミニズムの洗礼を受けた我々の時代では、まともに聖人扱いされるザラストロの方が、むしろ絶滅危惧種ということか。
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……… アルバム情報
● モーツァルト:歌劇『魔笛』全曲
マティアス・ゲルネ(ザラストロ/バリトン)
マウロ・ペーター(タミーノ/テノール)
アルビナ・シャギムラトヴァ(夜の女王/ソプラノ)
クリスティアーネ・カルク(パミーナ/ソプラノ)
アダム・プラチェトカ(パパゲーノ/バス・バリトン)
マリア・ナザーロヴァ(パパゲーナ/ソプラノ)
マイケル・ポーター(モノスタトス/テノール)
タレク・ナズミ(弁者/バリトン)
クラウス・マリア・ブランダウアー(おじいさん/俳優)
ウィーン少年合唱団員(3人の孫、3人の童子)
ウィーン国立歌劇場合唱団(合唱指揮:エルンスト・ラッフェルスベルガー)
ソフィア・タムヴァコプール(ハンマークラヴィーア、オルガン)
アンドレアス・スクーラス(チェンバロ)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
コンスタンティノス・カリディス(指揮)
演出:リディア・スタイアー
舞台:カタリーナ・シュリップ
衣裳:ウルスラ・クドゥルナ
照明:オラフ・フレーゼ
ビデオ:フェットフィルム
ドラマトゥルギー:イナ・カール
録音方式:デジタル(DVD)
収録場所:2018年8月 / オーストリア・ザルツブルク / ザルツブルク祝祭大劇場