リディア・スタイアー … 演出

モーツァルトのオペラ《魔笛》は、ザルツブルク音楽祭で、今回で39回目の上演となる特別な作品だ。最近では、2012年の音楽祭で、ニコラス・アーノンクールが指揮するウィーン・コンツェントゥス・ムジクス、ヤンス=ダニエル・ヘルツォークの演出で上演されている。その《魔笛》が2018年の夏の音楽祭にまた登場する。その演出を任されたのが、リディア・スタイアーだ。ザルツブルク・デビューとなる彼女のプロダクションは、俊英コンスタンティノス・カリーディスの指揮と旬の歌手たち、そして、「語り」にドイツの名優ブルーノ・ガンツが起用され、大きな話題を集める。音楽祭では彼女に演出コンセプトについてインタビューを行い、それが2017年12月28日、音楽祭のサイトに掲載された。

リディア・スタイアー / Lydia Steier
米国コネチカット州ハートフォードの生まれ。2002年にフルブライト留学生としてベルリンに移り、コミッシェ・オパーなどで演出について研鑽を積んだ。その後、2009年にワイマール歌劇場の《道化師 / トゥーランドット》二作品同時上演で、ドイツのラジオ局「Deutschlandfunk Kultur」の「Discovery of the Year 2009」に選ばれている。2015年にはヘンデルの《イェフタ》がウィーン芸術週間で上演され、2016年にはバーゼル歌劇場で上演されたシュトックハウゼンのオペラ《光の木曜日》がオーパンヴェルト」誌の「Production of the Year」に選出されている。



スタイアー:私が子供だった時、モーツァルトは想像上の友人のようでした


スタイアーさんは2018年、ザルツブルク音楽祭で演出デビューを飾ります。あなたがここにいること、それはあなたにとってどんな意味を持ちますか

闘いに臨む騎士のような立場かな、と感じています。実際のところ、私はまだ比較的若い演出家です。これまで数々の「演出の神」が働いてきたこの場所で働くことは、私にとって非常に特別な名誉です。幾人かの友人や同僚達は、もう既にここで仕事をしています。例えば、2003年に《後宮からの逃走》、2013年に《ニュルンベルクのマイスタージンガー》を手掛けたステファン・ヘアハイム、そして、私が最大の影響を受けたジャン=ピエール・ポネルがいます。

いま、ポネルの名前が挙がりました。彼が演出を手掛けた1978年のプロダクションは、1986年までに8回も上演され、音楽祭の輝かしい歴史を構成する一コマです。あなたはザルツブルクで上演された38回の《魔笛》を研究しましたか。そこで感じる音楽祭の伝統とはどんなものでしょう。また、それはあなたにどんな影響を与えましたか?

伝統と言っても、分けて考える必要があるかな、と思っています。確かにアヒム・フライヤーやジャン=ピエール・ポネルのプロダクションといった、成功したプロダクションがあります。その一方で、失敗に終わったプロダクションがたくさんあったことも忘れるわけにはいきません。基本的には、失敗するであろうという予想であり、成功すればこそ大きな驚きということかもしれません。つまり、大きなリスク、というわけです。しかし、失敗するリスクは同時に、大きな可能性を秘めています。
このオペラで、万人を喜ばせるのはすごく難しい作業です。あまりにも軽すぎたり、深刻すぎたり、大人びていたり、幼稚過ぎてもいけません。《魔笛》は誰もが知っていて、何回も見ている人が多いるオペラです。多くの人がそれだけの関心持っているという意味で、ザルツブルクの伝統は脅かされていると言えるかもしれませんが、私はそれを挑戦と見なしたいと思います。そしてその挑戦は、私とチームにとっていい刺激です。ザルツブルグの聴衆に対して、何かを創造して爽快で魅力的なものを提供しなくてはいけないという意味で。私は今年の夏、そして《魔笛》を楽しみにしています。

あなたは《魔笛》を演出したことはまだありませんが、《偽の女庭師》、《皇帝ティートの慈悲》、《後宮からの逃走》といったモーツァルトのオペラ作品は手掛けています。《魔笛》のどんなところに興味を持ちますか。また、あなたはオペラの演出で、その作品の特徴を強調させるというアプローチで迫るというのは本当ですか?

そう考えているのは、ザルツブルクのすべての聴衆がおそらく、一連の “魔笛”のプロダクションを見たことがあるからです。私がこれまで《魔笛》を見てきて、この作品の最大の問題は対話にあると思っています。とにかく長過ぎるのです。それを不自然だったり滑稽なものとして感じさせないこと、それが難しいですね。私たちは話劇や映画、テレビの影響を受け、これらの対話を理解することが難しくなっています。つまり、私が解決しなければならなかった最初の問題の1つは、対話をどうするかということでした。言うまでもなく、対話には情報が埋め込まれています。なので、情報を切り取ったりすることは許されません。そこで私たちは、試行錯誤の結果、読み手を追加するという考えに達しました。

ナレータを起用するという手法ですね。このナレーターはどのように組み込まれるのですか?

最初から、私は一種の「ナレーター」を念頭に置いており、最終的には、「おじいさん」がその物語を伝える役を担うという考えにたどり着きました。ブルーノ・ガンツがその役を引き受けてくれたことを、とてもうれしく思います。この《魔笛》は、おとぎ話のように語られます。私たちの切り口の中心を担う三人の男の子が、寝る前に読んでもらうお話のように。彼らは「おじいさん」役のブルーノ・ガンツと一緒に、ほぼずっとステージ上にいることになります。この4人の登場人物は密に絡み合います。子供たちは聴衆の代理人のように機能し、聴衆に向かって移動する第4の壁の一種でもあります。言い換えれば、「おじいさん」はこの物語を聴衆に語っているのではなく、孫たちに語っているのであり、彼らを通して、聴衆はユニークなおとぎ話の魅力を味わうことになるのです。

誰がこれらのテキストを書いていますか?

私はドラマツルグのイナ・カールと一緒に書きます。もちろん、ブルーノ・ガンツも参加します。私たちは、この創造的なプロセスを大いに楽しみにしています。

物語をどの時代に設定しますか?

その問題では、私たち自身の時代を反映する可能性のある場所を見つけることが重要でした。戯曲の義務というものは、社会や時代の構造を映し出すような鑑を構えることである、と役者達が言及している、ハムレットの例のスピーチのように。私はその声明をしっかりと信じています。
私たちは、現代社会に似かよっている時代背景を考えました。大きな不確実性の時代。今日、戦争が明日起こるかどうかはわかりません。銀行システムが壊れるかどうかはわかりません。つまり、私たちは、何が起ころうとしているか分からない時代に生きています。ということで、私達は20世紀初頭の美学の世界に、非常に抽象的な並行性を見出しました。
私はまた、1905年から1911年にかけて「ニューヨーク・ヘラルド」紙に掲載された漫画「リトル・ニモ」から触発を受けました。毎回、「リトル・ニモ」の素晴らしい冒険が描かれていたのです。この坊やは「スンバムランド」への道のりにおける彼の夢の中で、これらの冒険を体験していたのです。

あなたと舞台デザインのカタリーナ・シュリップは、どのように祝祭大劇場を使いますか?

ステージは巨大です。その空間をどう使い切るか、これも挑戦です。私は大劇場でいくつかのプロダクションを見ましたが、そこでは監督がステージを小さく使っていました。しかし、私たちはその大きさをむしろ歓迎します。私たちのセットは非常に多用途で可動性があり、物語を夢のレベルで保証します。

あなたは今回の公演でアンサンブルを組む歌手達と、一緒に仕事をした経験はありますか?

はい、私は「タミーノ」を歌うマウロ・ペーターと《偽の女庭師》の公演で一緒に働きました。彼はまだ学生だったのですが。私は本当にマウロが好きで、彼は素晴らしいキャリアを楽しんでいます。また、「夜の女王」の侍女を歌うジュヌヴィエーヴ・キングは、私がマインツで手掛けたデュパンのオペラ《ペレラ、煙の男》で主人公を演じています。グルックの《アルミーダ》でも一緒に仕事をしました。彼女は非常に強く、また野生的な一面も持っています。私たちの「パパゲーノ」、アダム・プラチェタカの存在に出逢ったのは、2016年の夏の音楽祭《フェイガロの結婚》を見た時でした。彼の音楽表現にとてもうっとりし、彼を「パパゲーノ」に迎えたいと感じました。彼は才能のあるコメディアンです。

音楽祭の芸術監督を務めるマルスク・ヒンターホイザーとも、2015年のウィーン芸術週間で組んでいます。あの時の、ヘンデルの《イェフタ》は大成功を収めました。芸術監督とのコラボレーションについて、どんな捉え方をしていますか?

実は《イェフタ》のプレミア後のパーティーで、彼から《魔笛》の演出は興味あるかどうか尋ねられたのです。想像もつかないことでした。ただ、私が彼について非常に感心しているのは、誰とどのプロジェクトをやっているべきか、それを見極める才能を持っているところです。正しい星座を認識する彼の才能は本当に希で特別です。私は彼を信頼し、彼を大いに尊敬します。しかし、私はこのオペラを手掛けることに同意するまで、長く考えなければなりませんでした。このオペラで失敗するのはとても簡単ですし。
もう一つ、私たちのネットワークが面白い縁で繋がっていることも感じています。具体的には、プラシド・ドミンゴの存在です。彼は私の仕事の初期の支持者でした。彼は2010年、《ローエングリン》を演出するよう私をロサンゼルスに招待しました。彼と夫人は、ポツダムで行った《イェフタ》の初演にも顔出してくれました。もちろん、そのことは、批評家や仕事仲間の興味を高めてくれる効果をもたらしました。おそらく、ヒンターホイザーもそのうちの1人かと思われます。この夏、ドミンゴにまた会えるのを楽しみにしています。

指揮者のコンスタンティノス・カリーディスと仕事をするのは初めて、ですね。

はい、本当に初めて一緒に働いています。ただ、私たちのキャリアは、お互いにベルリンのコミッシェ・オパーで働いていたという点で交わっていて、私たちはお互いにその存在を知っていました。私は昨年の、彼のザルツブルクでのコンサートや、2016年秋のフランクフルトでのドボルザークを取り上げたコンサートも聴いています。彼は、あなたが初めて作品を聞いているかのように、心に響く音楽を紡ぐ出します。その響きは、私たちの《魔笛》にとって、非常にエキサイティングな意味を持ちます。私たちは、観客がおなじみの音楽から新しい発見をしたことを実感してもらい、観客を驚かせたいと思います。

あなたはかつてインタビューで、あなたが演出家になることに映画「アマデウス」が大きな影響を与えたと語っていました。あなたにとってモーツァルトは特別な存在ですか?

私が「アマデウス」を見たのは6歳の時でした。その瞬間から、私はモーツァルトの音楽と彼の人生の話に完全に魅了されたのです。私の最初のCD、それは「アマデウス」のサウンド・トラックだったのです。私が子供だった時、モーツァルトは想像上の友人のようでした。私はコネチカットの小さな町に住んでいましたが、彼はザルツブルグに住んでいたこと、彼の妹と一緒にヨーロッパ全土を旅していたことなど、彼の生きる世界すべてが私を魅了しました。私は本当に「この人」に夢中でした。
しかし、私が監督になることを決めた映画が、実際に描いていたのは、アントニオ・サリエリの生涯でした。こんなシーンがありました。彼のオペラ《アクュール》のアリアを、ソプラノが歌う場面です。その場面、彼女はただ階段を降りる他ありません。「それ以外に何もない」、それが私のやりたいこと!でした。そこで私は父親の前に歩み出て、「私はオペラを演出する!」と言いました。すると、彼はこう応えたのです。「歌を先に勉強したらどうだい? その方が、後々仕事が見つかる可能性が増えるかもしれないよ」と。

そして、あなたはその通りのことをしました。最初に歌うことを学び、その後、演出家になりました。その経験は、あなたが歌っていたという事実は、演出家という仕事に影響を与えましたか?

歌手はステージ上の明瞭さを好みます。そして、いつでもステージ上で何が期待されているか、そして、その理由を正確に知る必要があります。アーティストはステージ上で、そういったことにまで意識しているかどうか、その実力が丸裸にされますので、経験が浅い場合は要注意です。ディレクターの目標は、明確な指示を与えることによって、すべての不安を排除することでなければなりません。いま何をしなければ、ということを考えて貰うための動機づけとナビゲーションの問題です。

モーツァルト《魔笛》
[出演]
夜の女王:アルビナ・シャギムラトヴァ
パミーナ:クリスティアーネ・カルグ
タミーノ:マウロ・ペーター
パパゲーノ: アダム・プラチェトカ
パパゲーナ: マリア・ナザーロワ
ザラストロ:ミヒャエル・ゲルネ
モノスタートス: マイケル・ポーター
弁者: タレク・ナズミ
語り:ブルーノ・ガンツ

[演奏]
コンスタンティノス・カリーディス指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 / ウィーン国立歌劇場合唱団

[会場]
ザルツブルク祝祭大劇場

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