オーストリア・ザルツブルクからバスに揺られて1時間弱の行程で、月の形をした美しい湖のほとりにある町、モントゼー(=モント湖)に到着する。
この町、教区教会が有名だ。その内部が有名な映画『サウンド・オブ・ミュージック』で、主人公マリアと大佐の結婚式シーンのロケで使われた。この避暑地の町では1989年以降、ザルツブルク音楽祭が終わった後の期間を使って、「モント湖音楽週間」という小さな音楽祭が開かれている。
創設時の芸術監督は、ハンガリー出身のピアニスト、アンドラーシュ・シフ。この2枚組のアルバムは、彼が名テノール歌手のペーター・シュライアーと組んだヨハネス・ブラームスの連作歌曲集《美しきマゲローネ》作品33の全曲が収められたもので、1997年の9月にライヴ録音されたものだ。
曲はヨハン・ルートヴィヒ・ティークの詩にブラームスが音楽をつけたもので、プロヴァンスの若い貴族ペーター伯爵と、ナポリ王女のマゲローネとの出会いと恋の物語を歌っている。全15曲。その詩(歌)だけではストーリーが繋がらないので、よく物語の朗読で間を繋ぐことがあるが、今回もそうした朗読付きのバージョンで上演されている。
第1曲。シフの弾く伴奏は、やや速めのテンポ設定も相まって、軽やかなタッチでリズミックに始まる。バリトン歌手もよく歌う歌曲集であり、その場合は、原調より短3度程度は低い調になることが多いので、このライブで聞ける明るいピアノはいかにも新鮮に響く。
シュライアーの歌い始めもこれに呼応して、若々しく希望に満ちていて、若者ペーターに「世界中を駆け巡って、後悔した者はいない」と吟遊詩人が誘いかけるという詩の内容ともよく合っている。テノール、しかもシュライアーのようなリリック・テナーが歌うと、この曲集は、青春の息吹があふれる情熱的な愛の歌になるのだ。
ペーターが旅先で美しき王女マゲローネに出会い、恋をし、3つの指輪を一つひとつ渡していく。そのあたりの主人公の胸の高鳴りをじっくりと描いていく(第4曲〜第7曲)。やがて二人は思いを通わせるようになるが、途中、思わぬところで離れ離れになってしまう。そうした緊迫した場面での劇的な表現が、抒情的な場面と見事に対比し、作品に深みを与えている(第10曲)。
シフのピアノも、シュライアーに負けず劣らず鋭い踏み込みを見せる。必要なところでは、伴奏にもかかわらずピアノを完全に鳴らしきり、何も憚るところがない。彼らは当時、既にそれぞれの分野で大家として名をなしていた。にもかかわらず、新たな表現を求め挑戦を続ける姿には、感心を通り越して尊敬の念さえ覚える。
曲間に挟まれる朗読は、俳優で朗読家としても活躍していたゲルト・ウェストファルが受け持っている。時折、ピアノによる前奏部分に語りを重ねるなど細かな工夫も重ね、長いストーリーを飽きさせずに聞かせている。会場は残響も豊かで、録音状態も素晴らしい。
ちなみにシフは音楽監督を1998年で退任。その後、クリスティアン・アルテンブルガー&ユリア・シュテムベルガー夫妻、ハインリヒ・シフを経て、2010年からはアウリン弦楽四重奏団が芸術監督を務め、現在に至っている。このような小さな、しかし独自性を持った音楽祭こそ、ぜひ機会を作って訪れてみたいと思うのは、僕だけではないだろう。
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……… アルバム情報
● ブラームス:歌曲集《美しきマゲローネ》 – ティークの『マゲローネ』のロマンス
ペーター・シュライアー(テノール)
アンドラーシュ・シフ(ピアノ)
ゲルト・ヴェストパール(朗読)
録音時期:1997年9月
録音場所:モントゼー音楽週間
録音方式:ステレオ(アナログ/ライヴ)