すべてはここから始まったーー。20年後の今にして思えば、そう思わざるを得ない。2002年夏のこと。ドイツ・シュトゥットガルトにあるリーダーハレのベートーヴェンザールでは、ノン・ビブラート、作曲者のメトロノーム指定に迫る快速調のテンポ設計、打楽器的なアクセント強調など、HIP(Historically Informed Performance=歴史的見地による演奏)様式を取り入れた斬新なベートーヴェンが連日鳴り響いていた。
古楽演奏の先進地であったイギリスでも“過激派”と見られていたロジャー・ノリントンが、何とドイツでシュトゥットガルト放送交響楽団の音楽監督に就任して楽壇を驚かせ、注目を浴びたのは1998年のこと。それから4年かけてこのコンビは研究・実践をくりかえし、「ヨーロッパ音楽祭」で披露したベートーヴェンの交響曲全9曲の演奏記録がこれだ。
当初、CD発売の予定はなかったという。しかし、放送用の録音を聞いたレコード会社「Hanssler」の関係者が「これはぜひ出すべき」と言ってきたそうである。それくらいインパクトがあったチクルスであり、実際にその後、今に至るHIPの隆盛を決定づけた録音になった。
古楽器によるベートーヴェン演奏自体は、1990年前後から盛んに行われてきたし、ノリントン自身も古楽器オケによる交響曲全集を「EMI」レーベルで既に完成させていた(1986-1988)。しかし、モダン楽器を使用してもHIPは十分以上に可能だということを、このCDセットは広く内外に示すことになった。
良く言われるように、彼らの演奏では各楽器・各パートが実に良く聞こえてくる。ビブラートを廃した“ピュア・トーン”は、ノリントンの代名詞にもなっているが、そこにモダン楽器ならではの演奏の力強さやしなやかさが加わって、いかにも魅力的だ。
そうした彼らのやり方は、ハイドンなど古典派交響曲の影響を残す第1番、第2番という初期交響曲や、第5番《運命》、第7番といったリズム中心の曲で最も顕著に見られると思う。が、ここではあえて第6番《田園》を聞こう。
まずは冒頭楽章。ここで聞かれる弦楽のさざめきは、まるで木の葉が陽光にあたってきらめいているかのようで美しい。流れの良い2つの中間楽章、そして静寂と強奏部分の対比が著しい「嵐」の場面を経て最終楽章に達すると、弦のノン・ビブラート奏法が一層効果を上げる。
もちろん、トゥッティでもノリントンは他のHIP演奏のようにブラスの音を割って咆哮させたりはせず、あくまで他パートとのハーモニーを重視していることがわかる。変奏されて再現される主題を、第1ヴァイオリン(左)、対向配置の第2ヴァイオリン(右)、チェロ(中央)と歌い継いでいく箇所はまさに白眉で、対旋律のピチカートも絶妙。既存のどの演奏でも、まずここまで明瞭に全パートが聞こえることはない。
他の曲でも、第8番での圧倒的なスピード感とアーティキュレーションの切れ味、第9番《合唱》の声楽部における強拍を強調するマルカート唱法など、聴きどころはすべての曲に見つけられるだろう。
CDには毎曲ごとに演奏後の拍手が収録されているが、聴衆がやや戸惑いがちにおずおずと拍手をし始め、やがて会場全体にブラボーの声が広がっていく様子が捉えられていて、臨場感も抜群のドキュメントになっている。
ちなみに、シュトゥットガルトで行われていた「ヨーロッパ音楽祭」は、この地にある国際バッハ・アカデミーが主催しており、2009年からは「シュトゥットガルト音楽祭」と改称し、今に続いている。
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……… アルバム情報
ベートーヴェン: 交響曲全集
[Disc1]
● 交響曲第1番ハ長調
● 交響曲第2番ニ長調
[Disc2]
● 交響曲第3番《英雄》
● 交響曲第4番
[Disc3]
● 交響曲第5番《運命》
● 交響曲第6番《田園》
[Disc4]
● 交響曲第7番
● 交響曲第8番
[Disc5]
● 交響曲第9番《合唱》
シュトゥットガルト放送交響楽団
シュトゥットガルト・ゲッヒンゲン聖歌隊
サー・ロジャー・ノリントン(指揮)
カミラ・ニールンド(ソプラノ)
イリス・フェルミリオン(アルト)
ヨナス・カウフマン(テノール)
フランツ=ヨゼフ・ゼーリヒ(バス)
録音方式:ステレオ(デジタル)
録音場所:2002年8月~9月, シュトゥットガルト(リーダーハレ・ベートーヴェンザール)