ビスの余韻

歌手の熱唱が終わった瞬間、割れんばかりの拍手が湧き、聴衆からは「ブラヴォ=bravo」が沸き起こる……。オペラ・ハウスではお馴染みの、熱い、熱い光景だ。しかし、よく聞くと、その歓声に「ブラヴォ」だけでなく、「ブラヴァ=brava」や「ブラヴィ=bravi」が混じっていることに気付いた人も多いのではないだろうか。

実はこれ、それを飛ばす相手が誰であるかによって違う。男性歌手に対しては「ブラヴォ」、女性歌手に対しては「ブラヴァ」、そして、歌手陣といった複数の歌手に対しての賛辞は「ブラヴィ」といった具合に。歌手が一人でカーテンコールに出てきた時には「ブラヴォ」か「ブラヴァ」、出演者みんなが手を繋いで出てきた時などは「ブラヴィ」といった感じだ。もちろん、オペラの本場であるイタリア語であることは言うまでもない。

もう一つ、素晴らしい熱唱に対して飛び交う言葉に「ビス=bis」という言葉がある。我々が使う「アンコール」と同じだ。とてつもない熱唱だった場合、「ブラヴォ」や「ブラヴァ」が飛び交った後、いつの間にか「ビス、ビス、ビス」の連呼が起き、2拍子の拍手、足を鳴らす音まで加わって会場は沸騰する。その「ビス」に応えるかどうかは、もちろん歌手次第。それを浴びて嬉しくない歌手はいないが、次のアリアをすぐに歌わなければならない、といった流れもある。それより何より、取り敢えずいまのアリアはバッチリだったが、それで息が切れてしまったのでもう1回はきつい、という切迫した事情もある。公演の幕が開く前に指揮者から「ビスが掛かったらどうする?」と訊かれていたとしても、「その時に考える」としか答えらないのが実情で、そこは阿吽の呼吸。指揮者と歌手がアイコンタクトでどうするか決める。

その「ビス」の中でも、いまでも忘れ難いのは、この2回だ。1回目はナポリのテアトロ・サンカルロでルチアーノ・パヴァロッティの歌うオペラ《愛の妙薬》の「人知れぬ涙」を聴いた時。2回目はウィーン国立歌劇場でフェルッチョ・フルラネットの歌うオペラ《ドン・カルロ》の「独り寂しく眠ろう」を聴いた時だ。

中でも、あの夜のフルラネットのフィリッポ二世は素晴らしかった。開演直前、指揮者に加えて、ドン・カルロ役、ロドリーゴ役の歌手2人、都合3人の出演キャンセルが発表されるというドタバタの中、彼は気を吐き(ドローラ・ザジックも凄かった!)、拍手が本当に止まなかった。翌日、国立歌劇場のイオアン・ホレンダー総裁にインタビュー時、その話をしたら、それまでニコライ・ギャウロフが持っていた拍手の長さの記録を抜いたと聞かされた。

一方のパヴァロッティの方は、公演終了後、みんなでピザのマルゲリータ発祥の店で食事をしていたら、そこに本人が姿を見せる、というおまけも付いた。巨匠の思いがけない登場に、店に居合わせたお客さんは総立ち。本人もお客さんも素晴らしいステージの余韻に包まれ、しれに浸る。こういう一夜はなかなか忘れられない。




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