第二次世界大戦は、ドイツ国民はもとよりこの国の音楽界に甚大な損失をもたらした。しかし、そのドイツで戦後いち早く、新しい音楽創造の息吹が芽生え始めたことは特筆される。特に中南部のヘッセン州の都市ダルムシュタットでは、早くも1947年に戦勝国であるアメリカの援助も受けながら、現代音楽に関する先駆的な講習会「ダルムシュタット夏期現代音楽講習会」が始まっていたのだ。
フランスの作曲家オリビエ・メシアン(1908 – 1992)が、1949年に作曲した《ピアノのための音価と強度のモード》は、その後すぐこの現代音楽講習会で若手作曲家たちの注目を浴びることとなる。元々は、《4つのリズムのエチュード(練習曲)》という4曲からなるピアノ曲集に含まれていたもの。ちょうど同じ頃収録された作曲家自身の演奏が残っていて、講習会に持ち込まれたのもこの音源と推測される(1951年録音)。
なぜ、この曲がそれほど注目されたのか? 戦前の作曲界で大きな影響を持ったものに、「十二音技法(セリエリズム)」という作曲技法がある。それは、オクターヴを構成する12の音を均等に扱い、その12の音を任意の順番で並べた音列(セリー)を元に曲を作るもので、そのことにより、調性・和声といった従来の音楽の枠組みから自由になることを目指していた。一般にはシェーンベルク、ベルク、ウェーベルンというウィーン出身の作曲家たちが多用したことで知られている。
メシアンは《ピアノのための音価と強度のモード》においてこの考え方を、”音の高さ”だけでなく、”打法=アタック” 、”強度=音の強さ”、”音価=音の長さ”という多方面に応用し、複合的な作曲技法として構成し直してみせたのである。これは講習会に参加していたピエール・ブーレーズやカールハインツ・シュトックハウゼンといった次代の音楽シーンを担うことになる若き俊英たちの作風に絶大な影響を与え、後に「トータル・セリエリズム」と呼ばれることになる新たな作曲技法を生む先駆けとなったのである。
厳密には、この曲でメシアンが使ったのは、「音列」ではなく「モード=旋法」であったとされる。また、メシアン以前にベルギーの作曲家カレル・フイヴェールツ(1923 – 1993)らが、より厳密な「トータル・セリエリズム」的な手法で作曲をしていたことも知られている。
しかし、音楽史的な意味では、《ピアノのための音価と強度のモード》が与えた影響・衝撃度はまったく減じるわけではない。実際、「トータル・セリエリズム」初期の典型的作品とされるブーレーズが1951年から52年にかけて書いた《構造I》について、作曲者は「私はメシアンの《音価と強度のモード》から一つの素材を借用しました」と証言している。
メシアンによる自作自演の録音は、曲の構造を聞き手に伝えるかのように、非常にしっかりと弾かれている。下記で紹介するボックスセットには、彼の妻でピアニストのイヴォンヌ・ロリオが演奏した録音(1968年)も収録されており、聞き比べもできる。そちらはピアノの音色などにも気が配られているスマートな演奏で、作曲者本人とは好対照だ。
その後のダルムシュタットには1958年、演奏や音楽鑑賞の過程に偶然性が関与する「偶然性の音楽」を創始したジョン・ケージ(1912 – 1992)が鳴り物入りで登場。「トータル・セリエリズム」時代に風穴を開け、新しい地平を切り拓くことになるのだが、この時の講習会の模様も何と実況録音で残っている(『Darmstadt Aural Documents Box 2 – John Cage – Communication』Neos)。こうした音楽が熱かった時代を、録音で振り返ってみるのも面白い。
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……… アルバム情報
● オリヴィエ・メシアン・エディション
・ピアノのための音価と強度のモード
オリヴィエ・メシアン(ピアノ)
[録音]
1951年、モノラル